「痴呆症」(ちほうしょう)という言葉を聞いたことがある方は多いかもしれません。かつて日本では認知症のことを「痴呆症」と呼んでいましたが、2004年に公式に「認知症」へと名称が変更されました。対象となる病気そのものは変わっていませんが、この変更には重要な意味が込められています。
この記事では、「痴呆症」から「認知症」への呼称変更の背景や理由、認知症に関する正しい知識について詳しく解説します。
「痴呆症」と「認知症」の違いについて知っておくべきこと
結論から言うと「痴呆症」と「認知症」に違いはありません。同じ疾患を指す言葉ですが、呼び方が変わった背景には深い意味があります。名称変更は単なる言葉の言い換えではなく、認知症に対する社会の見方や接し方を変える重要な転換点となりました。
名称変更に至った理由
「痴呆」から「認知症」への名称変更には、主に以下のような理由があります。
- 「痴」という漢字に「おろか」という侮蔑的な意味合いがあること
- 「呆」という漢字に「ぼんやりする」という否定的なニュアンスが含まれること
- 患者さんやその家族の心情に配慮する必要性が認識されたこと
- 「認知症」は「認知機能の障害」という医学的な意味を正確に表現できること
国際的には「dementia(ディメンシア)」という用語が一般的に使用されていましたが、日本では「痴呆」という和訳が定着していました。欧米での「dementia」には侮蔑的な意味合いは含まれていないのに対し、日本語の「痴呆」には文化的背景から否定的なニュアンスが強く出てしまうという問題があったのです。
「認知症」という名称に込められた意図
2004年に厚生労働省が公式に「認知症」への名称変更を決定しました。これは、当時の厚生労働省老健局長の私的諮問機関「痴呆に替わる用語に関する検討会」での検討結果に基づいています。
この変更は単なる言葉の言い換えではなく、認知症の人の尊厳を守り、社会全体の理解を深めるという意図が込められています。「痴呆」という言葉が持つ侮蔑的なニュアンスを排除し、より中立的で医学的に正確な「認知症」という用語に変更することで、この疾患に対する偏見や誤解を減らすことが期待されました。
さらに、この名称変更は医療・福祉の現場から行政文書まで幅広く適用され、社会全体で「認知症」という呼称が浸透していくきっかけとなったのです。認知症の正しい理解
認知症は単なる加齢による物忘れとは異なり、脳の病気や障害によって引き起こされる症状の総称です。一度正常に発達した認知機能が後天的な脳の障害によって低下し、日常生活や社会生活に支障をきたす状態を指します。
一方で、いまだに「物忘れ=認知症」という誤解は根強く残っています。加齢による物忘れは誰にでも起こり得ますが、認知症は脳の病気が原因です。判断の目安として、日常生活に支障が出ているかどうかを確認することが重要です。症状が気になる場合は、かかりつけ医や地域包括支援センターに相談しましょう。
主な症状と特徴
認知症の主な症状は、大きく「中核症状」と「行動・心理症状(BPSD:Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)」に分けられます。
中核症状には、記憶障害や見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能障害などがあります。
| 中核症状 | 特徴 |
|---|---|
| 記憶障害 | 新しいことを覚えられない、最近の出来事を思い出せない |
| 見当識障害 | 時間や場所、人間関係などの認識が困難になる |
| 理解・判断力の低下 | 状況を正しく理解したり、適切な判断をしたりすることが難しくなる |
| 実行機能障害 | 計画を立てて実行することが困難になる |
また、行動・心理症状(BPSD)としては、徘徊、妄想、幻覚、不安、うつ状態などが現れることがあります。
| 行動・心理症状(BPSD) | 特徴 |
|---|---|
| 徘徊 | 目的もなく歩き回る、外出して迷子になる |
| 興奮・暴言・暴力 | 感情のコントロールが困難になり、攻撃的になる |
| 妄想 | 物を盗まれたと思い込む、家族を疑うなど |
| 幻覚 | 実際にはないものが見える、聞こえる |
| 不安・うつ状態 | 気分の落ち込み、不安感、焦燥感 |
| 睡眠障害 | 昼夜逆転、夜間の不眠や騒音 |
代表的な認知症の種類
認知症にはいくつかの種類があり、原因や症状の現れ方が異なります。主な認知症の種類は以下の通りです。
- アルツハイマー型認知症:最も多い認知症で、脳内にアミロイドβタンパク質の蓄積が見られる。記憶障害から始まることが多い。
- 血管性認知症:脳梗塞や脳出血などの脳血管障害が原因。症状が階段状に悪化することが特徴。
- レビー小体型認知症:脳内にレビー小体と呼ばれる異常なタンパク質の蓄積が見られる。幻視や振戦などの症状が特徴的。
- 前頭側頭型認知症:前頭葉や側頭葉の萎縮が特徴。人格変化や社会的行動の変化が初期から見られることが多い。
これらの他にも、正常圧水頭症や慢性硬膜下血腫など、治療によって改善する可能性のある認知症もあります。症状に気づいたら、早めに専門医を受診することが大切です。適切な診断と治療により、症状の進行を遅らせたり、生活の質を維持できたりする場合があります。
受診のきっかけとしては、「同じことを何度も尋ねる」「財布や鍵をよく失くす」「道に迷う」といった行動が繰り返される場合です。特に日常生活に支障が出始めたら、迷わず専門機関へ相談しましょう。かかりつけ医のほか、地域包括支援センターや認知症疾患医療センターは、診断や相談に対応できる窓口です。早期対応は介護負担を軽減し、本人の生活の質を守ることにもつながります。
認知症に対する社会的理解の変化
「痴呆症」から「認知症」への名称変更は、単なる言葉の変更以上の意味を持ち、社会における認知症の捉え方や対応に大きな変化をもたらしました。
名称変更がもたらした偏見の軽減
変更前は「痴呆」という言葉が持つ侮蔑的なイメージから、患者さん自身やその家族が病名を言いづらい状況がありました。
名称変更後は、認知症の人の尊厳を重視する考え方が広まり、社会的な理解も徐々に深まってきています。言葉の変更は、認知症の人を「病気を持つ一人の人間」として尊重する姿勢を社会全体に促す大きなきっかけとなりました。
現在では、認知症サポーター制度や認知症カフェなど、認知症について正しく理解し、認知症の人や家族を温かく見守る取り組みが各地で行われています。こうした取り組みは、名称変更を契機とした社会的理解の変化の現れと言えるでしょう。
認知症ケアの進化
名称変更と同時に、認知症ケアの考え方も大きく変化してきました。かつての「痴呆」時代には、問題行動への対処や管理が中心となることが多く、時には身体拘束などの不適切なケアも行われていました。
現在の「認知症」ケアでは、その人の視点に立った理解と支援を重視する「パーソン・センタード・ケア(その人を中心としたケア)」の概念が普及しています。これは認知症の人を一人の人間として尊重し、その人の生活史や価値観、好みなどを理解した上でケアを提供する考え方です。
さらに、名称変更をきっかけに、認知症フレンドリーな社会を目指す動きも進んでいます。例えば、「認知症サポーター養成講座」では、地域住民が正しい知識を学び、困っている認知症の人を手助けする仕組みが全国に広がっています。認知症カフェやオンライン交流会といったコミュニティも増え、本人と家族が孤立せず、地域とつながれる環境づくりが進んでいます。
また、介護する家族への支援も重要です。介護疲れや孤独感を防ぐため、自治体やNPOによる相談窓口やレスパイトサービス(介護者の休息支援)を活用することが推奨されています。
| かつての「痴呆」時代のケア | 現在の「認知症」ケア |
|---|---|
| 問題行動への対処が中心 | その人の視点に立った理解と支援 |
| 管理や抑制が優先されることも | その人の意思や尊厳を重視 |
| 医療モデル(治療優先) | 生活モデル(生活の質向上) |
| 専門家主導 | 本人・家族と専門家の協働 |
この記事では、「痴呆症」から「認知症」への呼称変更の背景や理由、認知症に関する正しい知識と社会的立ち位置の変化について解説しました。名称変更は単なる言葉の言い換えではなく、認知症の人の尊厳を守り、社会全体の理解を深めるための重要な一歩でした。認知症に対する正しい理解と適切な対応を広めることで、認知症の人もその家族も安心して暮らせる社会の実現に貢献していきましょう。