介護や医療の現場で「見当識(けんとうしき)」という言葉を耳にしても、具体的にどのような能力を指すのか、疑問に思うことがあるかもしれません。また、利用者さんが「ここはどこ?」と何度も繰り返す姿に、どう接すればよいか不安や戸惑いを感じることもあるでしょう。
この記事では、見当識の基本的な定義から見当識障害の具体的な症状、現場で活用できる適切な接し方について解説します。
見当識とは?自分と周囲の状況を把握する能力
見当識は、私たちが社会生活を円滑に送る上で重要な役割を果たしています。ここでは、見当識の定義や認知症との深い関係、加齢による物忘れとの主な違いについて説明します。
医療や介護現場で使われる見当識の定義
見当識は、高次脳機能の一つであり、「今がいつか」「ここはどこか」「目の前の相手は誰か」を認識する力です。この能力が正常に保たれていることで、私たちは時間に合わせて行動し、場所を移動し、他者と適切な関係を築くことが可能となります。
※出典:厚生労働省「政策レポート:認知症を理解する(症状2:見当識障害)」
認知症の中核症状として現れる見当識障害
認知症を発症すると、脳の病変などにより見当識が低下し、見当識障害と呼ばれる状態になります。これは、周囲の状況を脳が正しく処理できなくなるために起こる症状です。見当識障害は、ご本人の努力や性格の問題ではなく、脳の疾患によって引き起こされる中核症状の一つであるため、周囲の理解とサポートが欠かせません。
※出典:厚生労働省 老健局「厚生労働省の認知症施策等の概要について(p2)」
加齢による物忘れと見当識障害の違い
加齢に伴う物忘れと見当識障害は、日常生活に支障をきたす範囲が異なります。加齢による物忘れは体験の一部を忘れる傾向がありますが、見当識障害は体験そのものや状況の把握が困難になる点が特徴です。
| 比較項目 | 加齢に伴う物忘れ | 見当識障害(認知症など) |
|---|---|---|
| 忘れる内容 | ヒントがあれば思い出せる(名前など) | ヒントがあっても思い出せない(体験自体) |
| 自覚症状 | 忘れた自覚があり、不便を感じる | 忘れた自覚がなく、記憶の抜け落ちた部分を別の話で埋めようとする |
| 状況把握 | 今がいつでどこにいるか理解できる | 年月日の感覚や場所の把握が困難になる |
※出典1:厚生労働省「あたまとからだを元気にするMCIハンドブック(p5~7)」
※出典2:政府広報オンライン「知っておきたい認知症の基本」
見当識障害で失われる3つの要素と順番
見当識障害は、一般的に「時間」「場所」「人」の順番で進行していくと言われています。それぞれの段階でどのような認識の変化が起こるのかを理解しておくことで、利用者さんご本人の不安を和らげる適切なケアにつながります。ここでは、3つの要素が失われていく過程と、それぞれの特徴について解説します(下記の情報は、厚生労働省の「政策レポート:認知症を理解する」を参照しています)。
時間の見当識障害:今がいつか分からなくなる
見当識障害の中で最初に現れやすいのが、時間の見当識障害です。最初は「今日は何日だったかな」という日付の曖昧さから始まり、次第に季節感の喪失や、昼夜の逆転が生じます。夜中に起きて「朝だ」と思い込み、朝食の準備を始めるといった行動は、時間の把握が困難になっている典型的な例といえます。
場所の見当識障害:どこにいるか把握できなくなる
時間の次に失われやすいのが、場所の見当識です。慣れ親しんだはずの自宅の中でトイレの場所がわからなくなったり、近所に出かけて道に迷ったりします。症状が進むと、自分の居場所を他人の家や過去の職場と思い込み、「家に帰りたい」と訴える帰宅願望につながることもあります。
人の見当識障害:周囲や自分の関係性が曖昧になる
症状が進行した段階で現れる傾向にあるのが、人の見当識障害です。家族や知人の顔を見ても誰であるか分からなくなり、「知らない人が家にいる」とおびえてしまうこともあります。また、自分自身の年齢を若く認識し、自分の子どもを親だと思い込むといった関係性の逆転が起こることも、この段階の特徴です。
現場や家庭で気付く見当識障害の具体的な症状
見当識障害の兆候は、日常生活のささいな言動の中に現れます。これらを単なる「わがまま」や「勘違い」と捉えず、脳の機能低下によるサインとして受け止めることが大切です。現場や家庭で見られる具体的な事例を通して、見当識障害が引き起こす行動の背景を解説します(下記の情報は、公益社団法人認知症の人と家族の会の「認知症早期発見のめやす」を参照しています)。
夜中に仕事に行くと準備を始める
時間の見当識が低下すると、現在時刻と社会的な役割が結びつきにくくなることがあります。夜中の2時に「会社に行かなきゃ」「子どもの迎えに行かなきゃ」と訴えるのは、ご本人の中では過去の特定の時間に意識が戻っているためです。暗い外の様子を見ても「夜である」という情報の処理が追いつかず、責任感から行動しようとしてしまいます。これは、ご本人の中では今も現役で働いているという「正しい認識」に基づいた行動であることを理解しましょう。
自宅の中でトイレの場所を迷ってしまう
場所の見当識が失われると、空間の立体的な把握が難しくなり、見慣れた景色が全く別のものに見えることがあります。自宅のトイレを指差して「あそこは何?」と聞いたり、押し入れをトイレと間違えて排泄してしまったりするのは、脳内の空間を正しくイメージできていないことが背景にあります。
長年連れ添った家族を他人だと思い込む
人の見当識障害は、家族にとって心理的負担が大きい症状の一つとされています。たとえば、毎日介護をしている配偶者に対して「どなたですか?」と尋ねたり、息子を「お父さん」と呼んだりすることがあります。これは視力や記憶力の問題だけでなく、目の前の人物を「今の関係性」として統合して理解する力が低下しているために起こると考えられています。
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見当識障害がある方への適切な接し方と声掛けの具体例
見当識障害がある方は、自分の置かれている状況がわかりにくくなるために、不安や戸惑いを感じていることがあります。その不安を和らげるためには、周囲の否定しない態度と、安心感を与える具体的なコミュニケーションを意識することが必要です。ここでは、信頼関係を築くための接し方と、現場で活用できる声掛けの具体例を紹介します。
相手の言葉を否定せず不安に寄り添う
「今は夜ですよ」「ここは会社じゃありません」といった正論での否定は、ご本人を混乱させ、拒絶反応につながる恐れがあります。大切なのは、ご本人の見ている世界を一度受け止めることです。「お仕事に行こうとされているのですね」「心配になりますよね」と感情に共感することで、パニックや興奮を落ち着かせることができます。
情報をさりげなく伝える声掛けの具体例
間違いを指摘するのではなく、会話の流れの中で自然に現在の情報を補う工夫が有効です。ご本人のプライドを傷つけず、安心感を与える声掛けの例を以下にまとめました。
| NGな声掛け | OKな声掛け(言い換え例) |
|---|---|
| 「今日は日曜日だから会社は休みですよ」 | 「今日はお休みの日なので、ゆっくりお茶でもいかがですか?」 |
| 「ここはあなたの家でしょう、しっかりして」 | 「ここは安心できる場所ですよ。あたたかいお茶が入ったので、ご一緒にいかがですか?」 |
| 「私はあなたの娘ですよ!忘れたの?」 | 「こんにちは。○○(名前)です。お手伝いに来ましたよ」 |
本人の興奮が強い場合は、情報の提供よりも、まずは別の話題に切り替えて気分転換を図ることも選択肢の一つです。
自信を失わせないためのコミュニケーション術
見当識が低下していても、感情の動きは維持されている傾向にあります。失敗を責めたり、子ども扱いにすることは避け、尊厳を守る関わりを続けることが、情緒の安定に寄与します。目線を合わせ、穏やかなトーンで、一度に一つのことだけを伝えるシンプルな会話を心がけましょう。
日常生活をサポートする環境整備とリハビリ
見当識障害のケアでは、本人が努力して情報を思い出すのではなく、自然と情報が目に入るような環境を作ることが大切です。視覚的な手がかりを増やすことで、混乱を未然に防ぎ、自立した生活を維持できる可能性があります。ここでは、具体的な環境整備の方法と、リハビリテーションの手法を解説します。
カレンダーや時計など時間の目印を増やす
時間の感覚を補うために、大きな文字で見やすい日めくりカレンダーや、午前・午後がはっきり分かる時計を設置する工夫があります。また、季節に合わせた花や行事の飾り付けをすることで、自然と季節を認識できるような視覚的アプローチも有効です。これにより、時間の混乱による不安を軽減できます。
迷わないための工夫と安心できる部屋作り
場所の把握を助けるために、ドアに「トイレ」「寝室」と大きく書いた張り紙をしたり、本人にとってわかりやすいマークを掲示したりします。また、夜間の照明を明るめに保ち、影による見間違いを防ぐことも大切です。馴染みのある家具や写真などを配置し、心理的な安心感を確保することが、落ち着いた生活につながります。
現実認識を深めるリアリティ・オリエンテーション
リアリティ・オリエンテーション(RO:現実見当識訓練)は、日常生活の中で繰り返し「時・場所・人」を確認し、現実認識をサポートするリハビリ手法です。朝のあいさつで「今日は○月○日、晴れですね」と伝えたり、食事の際にメニューの名前を伝えたりすることで、脳への適度な刺激を与えます。グループで行う形式もありますが、24時間を通じた生活の中での関わりは、有効なアプローチの一つと考えられています。
※出典:公益財団法人 長寿科学振興財団 健康長寿ネット「リアリティ・オリエンテーション」
見当識障害の原因となる病気と専門職の役割
見当識障害は認知症の代表的な症状ですが、それ以外にも意識障害の一種である「せん妄」など、さまざまな原因で起こることがあります。原因疾患によって対処法や緊急性が異なるため、医療や介護の専門職による多角的な評価が重要となります。ここでは、原因となる病気の傾向と、医療・介護専門職が果たすべき役割についてまとめます。
アルツハイマー型認知症や脳血管障害の影響
認知症の種類によって、見当識障害の現れ方や背景には特徴があります。たとえば、脳の萎縮が主な背景にあるアルツハイマー型認知症では、時間や場所の感覚が失われる傾向にあります。一方、脳梗塞などの脳血管疾患によって起こる脳血管性認知症では、脳血管障害が発生するたびに症状が段階的に進行します。いずれの場合も、長期的な経過観察と適切な薬物療法・非薬物療法の併用が求められます。
※出典:厚生労働省「認知症 参考資料(p8)」
急激な意識混濁を引き起こすせん妄との違い
注意が必要なのは、高齢の方に見られる「せん妄」です。認知症が年単位でゆっくり進行するのに対し、せん妄は数時間から数日のうちに急激に見当識を失い、幻覚や興奮を伴うことがあります。脱水や感染症、薬剤の副作用などが原因となっていることがみられ、原因への対処によって、症状が改善に向かうこともあります。放置すると重症化する恐れがあるため、緊急性が高い状態です。急な変化を感じた場合は、速やかに医師の診察や、医療機関への相談が推奨されます。
※出典:公益財団法人 長寿科学振興財団 健康長寿ネット「せん妄」
医師や作業療法士による評価とケアの重要性
見当識障害の評価には、MMSE(ミニメンタルステート検査)や長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)などの指標が用いられます。医師による診断のもと、作業療法士は日常生活動作の分析を行い、個々の症状に合わせた環境調整やリハビリプログラムを提案します。介護従事者やご家族は、これらの専門的な助言を日常のケアに反映させることで、より質の高い生活を支えることにつながります。
※出典:厚生労働省「認知症の臨床評価について」
この記事では、見当識の定義や障害の背景、具体的な接し方について解説しました。見当識障害は現実の状況把握が難しくなり、ご本人も不安を抱きやすい状態です。しかし、適切な声掛けや環境整備を行うことで、その不安を和らげ、安心感へとつなげる効果が期待できます。日々の会話の中で、時間や季節の話題をさりげなく伝えることから始めてみてはいかがでしょうか。
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執筆者:ウェルミーマガジン編集部
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