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認知症の妻の介護でみえたこと−介護家族と医師の視点から その後 vol.9 外出

2015-09-28

認知症の人も普通の日常生活を送ることが好ましいと外に出ることが勧められますが、認知症の妻の場合はうまくいきませんでした。外出の機会は減り、美容院と診療所に限られたのです。

転居前

非ヘルペス性辺縁系脳炎で半年ほど入院して後遺症として認知症があるものの、運動機能は発病前と同じでした。退院帰宅後、以前のように家のなかを歩き、階段を上り下りし、屋外で小走りします。このため認知症でも二人で外出することができました。しかし行く先々でトラブルを起こすことが多かったのです。

「母の住む田舎に帰る」と言い張るので、バスに乗って近くの駅まで行くことにしました。ところが駅ではなく途中のバス停で降りようとするのです。私は慌てて料金を払って降りました。このとき認知症の妻は、田舎に帰るということを忘れたようで、降りた道端で戸惑っている様子でした。

発病前、妻は車の運転が好きで、高速道路をよく走りました。退院して気分転換にと一緒に車で出かけました。もちろん妻に運転させることはできません。私が高速道路で運転して妻が「あっちに行きたい」と言うので「どこまで?」と聞くと「あっち」と言うだけです。

自宅からかなり遠くになったので帰宅しようとインターで降りて再び高速道路に入ると、自分の思う方向ではないと思ったのか、車のドアを開けようとするのです。とても危険に思い路肩に止め、しばらく妻の様子を見てドアを開けて出るような仕草がないことを確かめ帰路につきました。このとき以来、妻を乗せて高速道路を走ることはありませんでした。

発病前、二人でよくスーパーに買い物にいきました。退院後、妻の好みの食材を買って、気分転換にもなるだろうと思って、再びスーパーに行きました。カートを押しながら店内を回りました。

すでに冷蔵庫にある牛乳やパンなどを妻がカートに入れようとします。止めようとしても聞き入れてくれません。こうして余分な物、必要のない物を買ってしまうことになりました。店内で言い争うわけにもいかず、こうしたことを繰り返したくないとスーパーは2,3回行っただけで止めました。

発病前、よく外食していました。妻の好きだった物のひとつは焼肉で、退院後も昼食に一緒に行きました。満足して食べ終りレジで支払いを済ませて出ようとすると、「忘れ物した」と言い出すのです。テーブルや椅子やその周辺を見ましたが忘れたような物は見当たりません。それでも「忘れ物した」と言い張るのです。

当時、店内に客は少なく、私が説得を試みましたが、効果はありません。言い続ける妻を外に出し、力ずくで車に乗せて帰宅しました。これ以来、外食することはありません。

認知症の妻の介護でどうしてよいかわからなかったことが、化粧品と美容院でした。化粧品については、最初のケアマネジャーが女性だったので相談すると、基本的な化粧用品を教えてくれました。言われたとおり量販店で一式買って用意しました。化粧には凝っていた妻ですが、ほとんど関心を示しません。時たま赤いマニキキュアを塗っていました。今も同じです。

美容院をどこにするか決めるのに困りました。男性の散髪屋と異なり美容院は予約制で、決められた時間に妻が美容院に行くという保証がありません。当初、タクシーで連れていきましたが、タクシーが来ても妻は乗ろうとしないことがあったのです。電話で予約を取り消すことが2回目あると、その美容院に行きにくくなり、また別の美容院を探すことになるのです。

最終的に、5軒目の美容院に落ち着きました。自宅から遠くはなく私の車で連れていきました。その美容院でも初めてのときは1時半ほど美容院に居て、妻の様子を観察して店員からの質問があったら答え、不都合なことが起これば対応するようにしたのです。幸い利用を重ねるうちに店員が認知症の妻の状態をよく理解してくれるようになり、問題なく利用していました。

退院後、入院した病院の関連した診療所に二人で通いました。妻は身体状態、とくに入院中に目立った心不全の状態と脂質代謝異常で通院しました(注1)。私は高血圧治療のために2月に1回の頻度で通院しました。

当初はタクシーで通いました。途中、妻に何か起こっても対応できるようにするためでした。通院のときも、外にタクシーが待っていても妻が「行かない」と言い張るときは、止むなく運転手に帰ってもらいました。こうしたこと続くと、自分の車で診療所に行くようになります。そのときは、認知症の妻をひとり家に閉じ込めておきます。

一緒に診療所に行けるようなときは、妻は採血、診察、調剤で待つことを嫌がりませんでした。受診は夕方で、帰りにコンビニで弁当を買って夕食を済ませました。

退院して半年後、予期しない事故が起こりました。

在宅介護を始めて最も困ったことの一つは外出と徘徊です。外に出られないようにドアや窓が開けられない工夫をしました。これで安心と思っていたのですが、雨の降る日、妻が2階から転落したのです。2階の窓は開け閉め自由で、この窓をまたいで濡れた瓦屋根の上に出たところ滑って4メートル下の石畳に転落したのです。

小雨降るなか横たわっている妻を発見し、救急車を呼びました。幸い、脳炎で入院していた病院の整形外科が受けてくれました。腰椎骨折と両足の踵骨骨折の手術を受けました。経過は良好で歩けるまでにはなりました。

とはいえ歩行は不安定で車椅子か4点歩行器を使いました。歩行は次第によくなり杖なしで歩けるまでに機能回復しました。しかし以前のように速足で歩けるわけでもなく、外出時は車椅子を使います。妻の移動が不自由になったことは、在宅介護をする私にとって助かっているのです。

転居後

転居後も外出は美容院と診療所のときだけです。週3回のデイサービスと月1回のショートステイも外出に当たりはしますが、ともにマンションの玄関まで車を着けての送迎なので外出とは呼べないでしょう。

転居後の美容院探しは意外と簡単でした。マンションに近くて歩いてでも行ける距離にある美容院を見つけました。初めて妻を連れていったとき、認知症であることを告げ、私は終わるまで美容院にいました。この美容院では、途中に飲み物のサービスがあり、そのメニューを妻に見せて店員が「どれにしますか?」と問うたので、妻が返答に困った様子でした。

店員に「どれにしますか?」の問いかけは認知症の妻には答えにくく、メニューのなかから二つ選び「どちらにしますか?」と問うたほうが答えやすいと説明しました。この近くの美容院は現在も車で連れていってます。2、3ヵ月に一度の頻度で通っています。この美容院で妻に椅子を替わるように話したところ嫌がるということで、携帯電話に連絡が入り、美容院に来てほしいと依頼がありましたが、行ってみるとすでに問題は解決していました。その後も問題なく利用できています。

転居後、診療所が近くなり助かっています。タクシーを呼ぶことはなく、私が車を運転して一緒に通院しています。問題なく受診できていますが、以前と同じく受診の当日、行きたくないと言い張り、妻を家に閉じ込めたまま私一人で受診したこともありました。

その間、おおよそ2時間から2時間半ですが、問題となるようなことは起きていません。もっとも先日、診療所に居るときからいつもと異なり、少し怒りっぽい様子でした。診療所から帰宅しようと車に乗せようとしましたが、頑なに拒むのです。この状態で車を運転して帰るのは危ないと思いました。

タクシーを呼び、力ずくで乗せて帰りました。妻を家に閉じ込めて私が同じタクシーで診療所に戻り、駐車場に止めていた車で帰宅したことがあります。こうした経験は初めてで、何が原因で妻が拒んだのか未だに理解できてはいません。

説明と私見

現在、妻と外出するのは2、3か月に一回の美容院と2月に一回の診療所です。回数は少ないとはいえ、美容院でも診療所でもそこに居る人たちが妻の認知症を具体的に知らなくても、認知症の基礎知識を持っているだけでも、妻にとっても私にとってももっと助かると思います。この人たちが「認知症サポーター」だったらよいのにといつも思います。

「認知症サポーター」は、地域や職場において、認知症を理解し、認知症の人と家族を見守り、支援する人とされています。わが国独自の「認知症サポーター」の養成は、厚生労働省の「認知症を知り地域をつくる10ヵ年キャンペーン」の施策の一環として2005年に各地で事業が始められました。

さらに「認知症サポーター」を養成する講座の講師にあたる「キャラバン・メイト」の養成も開始されました。この事業の事務局を担っているのが「全国キャラバン・メイト連絡協議会」で、都道府県や市区町村あるいは全国規模の企業や団体と共催で事業を進めています。「キャラバン・メイト」は専門家による認知症の講義を6時間受け、「認知症サポーター」は通常90分の講義を受けます。

こうした取り組みの結果、認知症サポーターは増加の一途で2015年6月30日現在約634万となっています。

この「認知症サポーター」は認知症対策の一つとして世界的に注目されています。イギリスでは、キャメロン首相の「認知症への挑戦」という政策の一環として、日本を例に「認知症フレンドDementia Friends」が2013年に導入され300万人を目標に、現在約129万人が認知症フレンドです。この事業はイギリスのアルツハイマー病協会に委託されています(注2)。

さらに今年からはオランダとカナダでも認知症フレンド政策が導入されようとしています(注3)。また世界保健機関(WHO)や国際アルツハイマー病協会(ADI)は、日本の「認知症サポーター」が認知症の人を地域で支える有効な方法であるとして推奨しています(注4)。

わずか90分と短い講義で「認知症サポーター」になれるとする施策は、私は当初、「安あがり対策」と疑問視しましたが、浅く広くの理解は認知症の人とその家族の地域支援に重要だとその意義を認識し直しています。それしても「認知症サポーター」のアイデアは一体だれが考えついたか知りませんが、この方法は認知症に限定せず統合失調症や自閉症などの対象を広げられないか検討してもよいと思います。

いっそう増える認知症の人―特に認知症高齢者―への地域的支援として、認知症の妻と私が住むこの地域でも認知症サポーターが増えて、点から面への支援の広がりを期待します(注5)。

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