高齢者にとって満足のいく最期とは?

2015-10-30

人間誰もが必ず迎える最期のとき。多くの方は、「眠るように穏やかに死にたい。」と願っていることでしょう。介護現場でも、看取りの瞬間に立ち会う機会は少なくありません。ずっと「長生き」が尊ばれてきた日本。ではそんな日本において、尊厳死とはどのような状況なのか。詳しく考察したいと思います。

自然死とはどのようなものか

静かに天寿を全うできる「自然死」「老衰」。いったい、どのようなものでしょうか。身体の状態にあわせて眠っている時間が長くなり、少しずつ呼吸も穏やかに止まっていく。これが、最期を迎えられるということです。

亡くなる前には、しだいに食べられなくなっていくでしょう。たとえ点滴で無理やり栄養分や水分を身体にいれても、身体はもう対応できなくなっています。人工的栄養補給は本人の生命維持に有効です。しかし生きている時間は少し長くなっても、自分らしく過ごせるという期待はできません。

老人ホームや病院では、本人がまだ意識があるうちに「ガンを告知するかどうか」「生命維持装置を使うかどうか」を聞き、文書に残していくようになってきました。そこでは、ほとんどの人が「告知して欲しい。」「生命維持装置は使わないでほしい。」と答えています。しかし実際にはさまざまな管を入れられ、意識のないままに一日中寝ている人が多くいる状況。これは、いったいなぜなのでしょう。

その原因として考えられることの1つが、脳卒中や急性の症状が出た際につけた維持装置について、外すタイミングを逃してしまうことです。急性の症状は、適切な対応によって一命をとりとめ、その後に維持装置を外すことができます。しかし外せなかった場合が問題です。点滴や導尿、心臓ペースメーカーなど。

例えばある病気でペースメーカーを用いたものの、別の病気で倒れてしまい、他の臓器が働いていないのに心臓だけが動いている人もいました。家族は「自分たちが行くまでは止めないで欲しい」と願い、家族が最期を看取ってからペースメーカーは外す。この時に「死亡」ということになりました。「心臓が動いている姿を最後に見たい」という心情は当然でしょう。しかしこのとき、死ぬ瞬間を他人が決めたかのような違和感を覚えたのです。

胃婁をつけたまま楽しい日々が送れるのか

認知症が進んで嚥下もうまくいかなくなり、誤嚥性肺炎が起きやすくなったため、家族の了承を得て胃瘻が作成されたとします。栄養をとっていると顔色もよく、ただ寝ているだけのように見えてしまうでしょう。しかし、本人とは全く意思の確認がとれないまま、3〜5年「生きて」介護者の負担がずっと続いていきます。

本人とコミュニケーションがとれなくなった家族は、「胃瘻を取り除いてしまうとすぐに死を迎えるかもしれない」という現実から、外すという決心ができません。ではいったい、この方はどうすれば最期を迎えることができるのでしょう。

ケアマネージャーは、担当した高齢者が「自立し健康でいる状態」をできるだけ長く続けられるようプランをつくります。しかし時々、ケアプランを作りながら「幾つまで頑張らなければいけないのか」と思うことがあるのです。80歳を過ぎて味気ない治療食を食べたり、大好きなアルコールを禁止されていたり。それで少し生きる時間が長くできることが、果たして本人にとっても幸せなのでしょうか。

「ここまで生きたのだから、好きなもの食べて、好きなことをしても良いのでは?」

本人も家族もきちんと死に向き合い、受け入れて心安らかに最期を迎えられる。そんな、幸せな「死」に向けたプランを作ることも、ときに必要だと思います。

どうすれば良いのか

本人にとって幸せな最期を迎えるためには、各自が自らの意志をきちんと周りに伝えていくことが必要でしょう。例えば定期的に公的な資格をもった人(主治医、弁護士、ケアマネージャーなど)と意思を確認し、それを保険証の裏に記載しておくというのはどうでしょうか。その他に、臓器提供の意志、献体の意志も記載しておきます。そうすれば、医療行為の前に確実に確認できるでしょう。

安楽死や尊厳死については、今でも研究が進んでいます。しかし何よりも、やはり本人が満足していけるような支援を考えていければと思うのです。

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