「治す」のでなく「治らない病気」を支え続ける在宅診療の可能性 - 佐々木淳氏インタビュー vol.1

2015-10-26

在宅医療(訪問診療)を専門に取り組んでいる医療グループ悠翔会は、365日、24時間体制で、関東9地域延べ2,300人の在宅患者さんを診療している。66人の医師たちは、各地域の介護事業者と連携しながら、患者さんの安全かつ快適な療養生活をサポートする。高齢者の場合、具合が悪くなると家族や介護事業者は慌てて急性期病院に救急車で運んでしまうケースが多い。だが、慢性的な病気や治療不可能な病気であれば、地域の在宅医療チームが時を選ばずしてすばやく支えることで、解決し、こういったケースを減らすこともできるし、ひいては医療費削減にもつながる。今後の高齢者医療のあるべき姿は何か? 高齢者を真に支えるということは、どういうことなのか。悠翔会理事長で在宅診療医として活躍する佐々木淳氏に話をうかがった。

関連サイト:悠翔会

ひとりの医師が患者さんのすべてを診る形に

中学生のころ、母が脳腫瘍になったんです。最初はだるい、目の見え方が悪い、という自覚症状でしたが、調べてみたら、脳下垂体に腫瘍ができていました。それを、近所の脳外科の先生が手術してくれた。のちに陽子線の治療も受けて、おかげさまで、母のガンは根治しました。しかも、手術は歯茎と唇の間に小さくメスを入れ、細い顕微鏡を脳下垂体まで通して腫瘍をかき出すというもので、傷もほとんど残らない。医学のすばらしさを知りました。脳外科ってすごいな、と思った。これが医師になろうとした大きなきっかけでした。

しかし、実際に医学生になってみると、外科って、医師が複数立ち合い、看護師もいて、大勢で手術をすることを知り、専門分野なのに分業をしているように感じ、何かが違うな、と。むしろ、患者さん自身、その人全体を診るような科のほうが自分には合っているな、と感じたのです。

そもそも、僕が医師になったもうひとつの大きなきっかけは、中学1年のときに、手塚治虫さんの医療コミック『ブラックジャック』を読んだことです。ブラックジャックは、なんでもやるじゃないですか。一人で脳外科もやり、心臓外科、美容外科、時には血液内科も。当時は「総合内科」という科はほとんどない時代でしたが、まさにブラックジャックはいまの総合診療を実現していますよね。その医師としての在り方に憧れたのです。

さらに、(筑波大医学部を卒業して)レジデントで行った病院は、東京の三井記念病院。ここは、患者さん側から見ると、心臓、肝臓、腎臓など、臓器別の科があるのですが、医師は、どの科の患者さんも順番に受け持つんです。僕は消化器内科が専門で、当時は肝臓ガンの治療をしていましたが、ここでは専門外の、さまざまな患者さんを診療しました。このような500床もある大きな病院で、チーフレジデントクラスでも、総合的に他科の患者さんまで診るような病院は、非常に珍しいと思います。

そんな経歴が、総合内科ともいうべき在宅診療の道を選ぶきっかけ、素地をつくったのだと思います。

はい、上司にすすめられて行きました。学位をとるには、基礎研究に取り組むわけですが、この基礎研究に自分が向いていなくて(笑)。大腸菌を何かに感染させて、すりつぶして顕微鏡で見たり、ウイルスを試験管で見たり、1日中「作業」をしているのです。研究室には医師がたくさんいるのに、臨床をしないで「作業」ばかり。一方病院では、医師が足りなくて、多忙を極めている現状がある。

このアンバランスさに疑問を抱き、どちらかというと臨床に興味がある自分に気づいたと言いますか。研究の仕事は、自分には向いていないと思いました。はたして、4年間これをやって学位をもらうことに、どれだけ意味があるんだろう、と考え込んでしまったんです。それで、消化器内科の指導教授に、入学して3ヵ月もたたないうちに、「向いてないです、やめます」と言ってしまいました。

しかし、教授は理解がある方で、「やめるのは判断が早すぎるから、休学していろんなことをやり、何が適しているか考えたらどうだ」と言ってくれました。そこで、とりあえず休学し、足立区の小さな病院で内科全般をみるような臨床をしていました。また、東大で知り合ったマッキンゼーアンドカンパニーの人に誘われて面接を受け、経営コンサルティングをやろうとした時期もあります。

そんな折に、アルバイトで在宅診療をやることになり、一気にハマってしまったんですね。「経営コンサルタンティングなんてやっている場合じゃない、僕は在宅診療をやるんだ!」と。マッキンゼーに「ごめんなさい」をしたらもちろん怒られました。海外の留学手続きも取ってくれていて、損害賠償を請求されてもおかしくなかったと思います。けれど、「やりたいことが見つかってよかったね」と言ってくれた。本当に申し訳ないことをしましたが、僕にはもう、これしかない!という感じになっていました。

障害があることは不幸ではない

急性期医療の病院に在籍しているときは、病気を治すことがミッションでした。しかし、肝臓ガンを担当すると、何度ガンを焼き切っても再発する人がいる。治しているうちに、患者さんの体力が弱って来て、治療を中断せざるを得ないこともあるんですね。すると、僕らにはすることがないから、もう来なくてもいいですよ、となってしまう。しかし、病院に来なくなっても、その患者さんは自宅で生きて、生活しているわけです。そのことに、在宅診療のアルバイトをして、はじめて気づきました。

脳梗塞で寝たきりの方、神経難病で自力で呼吸ができずに人工呼吸器をつけている方……。以前はそういう方のことを気の毒だと思っていました。病気はもう治らず、病院からは見放されたという言い方もできる。ベッドから離れられないし、排泄も人に頼るし、背中をかきたくてもかけない。これで一生過ごすなんて、悲惨だな、と。

しかし、ベテランの患者さんは、自分が治らないことをわかったうえで、実に淡々と毎日を送っていらっしゃいます。たとえば僕らが意識せずに呼吸をしているのと同じように、たとえ人工呼吸器をつけてはいてもごく自然に呼吸をしている。手足が動かなくて車いすに乗っている人でも、ヘルパーさんに頼んで、行きたいところに行っている。病気をしっかりと受容し、そのうえで、毎日どう生きていくかを考え、生活を送っている。「私の病気は治らないんだから、お酒飲んでもいいでしょ」って言われることもあります。

胃ろうなので口から食べられない、と思われている人でも、味覚が失われるわけではありません。ブランデーが飲みたければ、ガーゼにたっぷりしみこませて、舌の上にのせてさしあげればいい。酔っ払いたければ、胃ろうから一滴お酒を入れれば、ちゃんといい気持ちで酔えます。ちゃんと人生、楽しめてるんじゃないかって。

障害があるから不幸だというのは、健常な人たちの価値観なんですね。「住めば都」という言葉もあるけれど、障害があるという現実を受け入れてしまえば、人生はそれなりに楽しめる。障害はひとつの個性で、少なくとも、欠点ではないんです。そういう価値観のあり方を、患者さんから教えてもらいました。

治せない病気や障害があっても、きちんと管理をすればいい。その医療で、患者さんの人生を幸せにしてさし上げることができる。そういう医療の在り方はいいな、と思いました。それに、もし自分自身が病気になったときに、こういう考え方がもしなかったなら、不幸なんじゃないかと。障害があるから社会と隔絶するのではなくて、周囲の力を借りながら、社会の中でごく自然に生きて行けばいいのだと、強く思いました。

アルバイトで関わっていた当時は、在宅医療といっても夜間や休日の診療をしていないところも多く、患者さんの具合が悪くなり、夜間に在宅医に連絡してきても、時間外だから急性期病院に行ってくれということもありました。しかし、本来、こういう患者さんたちは、急性期病院に行くべき人たちではないです。

ならば、昼も夜も安心して生活できるよう、援助できる体制を作ろう。

それが、悠翔会を立ち上げるきっかけともなったのです。

診療に向かう車中で

関連サイト:悠翔会

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