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介護と医療がチームとして高齢者を支えるために - 佐々木淳氏インタビュー vol.2

2015-10-28

在宅診療医として、「病気を治す医療」ではなく、「治らない病気を抱えている人を支える医療」に心血を注いでいる佐々木淳氏のインタビュー。2回目は、医療が行うキュアと、介護のケアを組み合わせ、高齢者がよりよく生活し、穏やかに命を全うするために、何が必要なのか。在宅医療の神髄に迫るお話をじっくりとうかがった。

関連サイト:悠翔会

患者さんの「老化」という幹から発想する

病気を診るためには、専門性を突き詰めなければなりません。たとえば、パーキンソン病を治すのであれば、パーキンソン病の専門的治療ができなければいけない。

しかし、パーキンソン病の治癒は見込めず、病気を抱えて生きていかなければならないような方を担当するのであれば、治療が最優先ではありません。新しい薬を投与するより、食欲が落ちている状態で、どう食べればいいのか、歩行が不安定だから、安全に室内を移動するにはどうしたらいいかなどのほうが、生活するうえでは重要で、優先されるべきことだと思います。

高齢者の症状の多くは、別個に起こっているのではなくて、老化という根から枝分かれしているわけです。ですから、枝葉にこだわるより、大木の幹をとらえる、つまり病気をジェネラルに診られることが大切だと思います。

そもそもプライマリーケア(患者の相談にのりながら総合的な診療をする)というのは、生活が成り立つよう支援し、病気の進行や急変があれば専門医につなぐ、というスタンスで取り組むべきだと思います。たとえば僕なら、消化器内科は9割は診られるけれど、1割は診られない。整形外科とか神経内科は5割ぐらいしか見られない。眼科や耳鼻科は3割です。それぞれの医学的な知識や経験をもとに、自分の限界を知ったうえで、タイミングをはずさず自分で診る、専門医につなぐ、の判断をする。あるいは関わる他職種につなぐことが大事です。

もちろん、赤ちゃんだとか、20代、30代の方の病気なら、病気を単一に診てきちんと治して、社会に戻してあげないといけない。しかし、老化がベースにある症状であれば、その人の全体を見ていくことが大切ですね。

高齢者が、病気を治すために白い壁と白い天井に囲まれて、機械音の鳴る中でじっとしていることが、果たしてその人の生活の質を上げてくれるのか。24時間、管理してくれるけれど、着衣も直してもらえないし、歯もしっかり磨いてもらえないし。環境に拒否感があって大きな声を出せば、今度は鎮静剤を打たれて黙らされてしまう。病気を治そうと長く病院に入院し、廃用症候群で歩けなくなり、寝たきりになることも多いです。

そうですね。でも、その考え方で最期までいくと、必ずどこかで不幸になります。老衰を急性期治療でやっつけようと思っても、絶対に負けるんです。だから、勝ち負けの基準をどこかで切り替えないといけないんですね。「病気は治せなくても、人生を楽しめれば勝ちだよね」と。そして、人生を楽しむために、介護や医療を使えばいいと思います。

専門職、多業種問わず学べる場として人気の「在宅医療カレッジ」

チームのだれもが「専門職」であることがマスト

ワンストップですべてのソリューションをひとりで提供できる人はいません。だから、みんなで連携しないといけない。在宅医はトップではありません。僕らは2週間に1回、15分程度しか患者さんと会えないわけです。一番長い時間、その高齢者と接しているのは、介護職の方です。ですから、日ごろの様子は家族や介護職の方がしっかりみてくれて、医師に様子を伝えてくれることが大切です。特に介護職は、高齢者のケアをするプロとして、ほんの少しの変化もとらえて支援し、医師につなぐべきと思ったら、すぐに連絡してきてほしい。

それができるかどうかは、チーム間に信頼関係があるかどうかにかかってきます。ケアマネジャーが医師に遠慮をしてはいけないし、訪問看護師やヘルパーさんが本音を言えないのも困る。病院の医師は、病院の中でちやほやされているし、多職種の中でも「先生」なんて呼ばれていますが、それも「どうなの?」と思いますね(笑)。少なくとも、在宅医療の現場では、関わる専門職全員が、対等な立場で協働しなければ意味がありません。

ただし、チームで協働をするには、それぞれが「専門職」として機能していなければならない。しかしプロフェッショナルでない方がいるのもまた事実です。

介護職でいえば、まずベースになる介護や医療の知識がないことが挙げられますね。高齢者の体や心のメカニズムをきちんととらえ、健康な状態の医学的な数値や状態も知ったうえで、暮らしを支え、異変を察知する必要があります。日々の業務に追われ、「処理」するだけになってしまっていないか、検証してほしいと思いますね。

また、支援というのは当然、支援を受ける人の視点で考えなければいけないのに、たとえばケアマネジャーなら、自分の思い込みのプランに、高齢者を乗せてしまっている人がいる。あるいは、もっとひどいのは、自分たちの事業所の利益を優先して、そのサービスを押しつけているケースもあります。

チームというのは、目的意識や課題意識を共有できているかどうかがポイントです。そのうえで、その人の人生のイメージが獲得できていれば、専門職が安心して分担できますが、お任せできる専門性がないと、多職種協働がうまくいきません。

介護職は、医療従事者におもねったり、躊躇したりすることもあります。自ら専門性を磨いて自信を持ってチームに参加すれば、自分を卑下することもないし、堂々と意見を述べて、高齢者の生活をよりよい形で支援できるのだ、と思ってほしいですね。

「Aさんは3ヵ月前から寝たきりになって通院困難です」。その情報しかないところが、僕らのスタートです。しかし、それだけでは、Aさんが静かに暮らしたいのか、リハビリして機能回復に努力したいのかが、わからない。

僕らは、おつき合いする方の「断面図」しかわからない。しかし、その方の時間軸、生活歴を聞くことで、ようやくケアやキュアのスタートラインにつけるのではないかと思います。それを医者がやるべきなのか、ケアマネジャーなのか、ヘルパーか、MSWか、いろいろありますが、患者さんの人生を知った人は、多職種と共有してほしい。そうすれば、その方のイメージがつかめて、後にどういう時間が流れそうなのかがわかると思うのです。

よく、「意味なく徘徊して困る」といいますが、本当に意味がない行動なんだろうか。もしかしたらだれかを探しに行っているのかもしれない、約束を果たすために行っているのかもしれない。その人の人生を知っていれば、ヒントがあり、不安を解消できるかもしれない。それなのに、「徘徊が多いから薬を増やしてほしい」などと言われると、もっと勉強してほしいし、もっと患者さんを知ってほしいと思ってしまいますね。

介護職に限らず、在宅医療関係者は、ぜんぜん勉強が足りていないというのが実感です。専門分野はもとより、専門分野から少しはみだした分野も知らないと、多職種につなぐことができません。「問題点を見つける、つなぐ、結果を出す」という連携のプロセスの中で、まずは見つけ出す力がないと、何も始まらない。誤嚥性肺炎は助けられないわけです。知識のある担当者であるかないかで、担当する方の人生が、悪いほうに決まってしまうのはぜひとも避けなければいけません。一つひとつの介入は、医学的な根拠に基づいて共有されないと。それには、まず学びの場が必要だということです。

僕だけではなく、各地域で勉強会を立ち上げてくれる人が増えるといいな、と思っています。共に学んでいくことで、プロ同士のチームが日本中でできあがっていきますからね。

だから、僕も介護関連の勉強会に積極的に参加させてもらっています。医療従事者が、介護の分野の勉強をすることで、よりよいチームづくりができるはずですし。介護職の方からはたくさんの学びをもらっています。感謝しています。

カレッジ終了後の懇親会で

関連サイト:悠翔会

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