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認知症って厄介な病気なんです

2016-01-18

あるアンケート調査で、「癌と認知症、どちらが最もかかりたくない病気ですか?」と言う質問がありました。そこで驚いたのが、癌よりも認知症と答えた数の方が多かったこと。癌といえばかつては不治の病。積極的治療を行うにも、「本人に告知するべきか否か」というような論争もありました。しかし今では、早期発見・早期治療によって、ほぼ“治る病気”と認識されるようになっています。そのため、告知するか否かという話にはならないのでしょう。むしろ認知症の方が、人々にとって「なりたくない」と思われているのです。

認知症は本人・家族も認めにくい

以前、仕事で関わった70代後半の方は、医師からいきなり本人に「癌です」という検査結果を告げられ、家族まで大変驚いたなんていう話もありました。しかしそれは、「治療は多少つらい思いもするけれど、よくなりますよ。」という証しでもあるわけです。そして治療のために入院・通院する際も、知人等には隠さず「癌の治療のためです」と伝えます。

さて、それでは認知症に関してはどうでしょうか。私が経験した中では、次のような方が多くを占めているように感じています。

いったいなぜなのか? それは、認知症が厄介な病気だからでしょう。では、認知症がどのように厄介なのかを、これまでの経験を踏まえて考えてみます。

認知症は気づきにくい

まず挙げられるのが、病気の始まりが曖昧であることです。物忘れやちぐはぐな行動が気になり出して、「もしかしたら」と頭を過ったとしましょう。しかし、すぐに検査へ行く(連れて行く)ということをしません。何かおかしいと感じても、「でも、歳をとったらこんなものなのかもしれない」「まさか認知症なんて」と、ずるずる時間が経ってしまう。あるいは、離れて暮らしているため年数回もしくは数年に一回程度しか会わなくなり、その変化に気づかないこともあるでしょう。その間に、症状はどんどん進んでしまうのです。

では、なぜ気づかないのか。その理由は、認知症に痛みなど身体的な不具合がないことが挙げられるでしょう。「どこか痛い」といった症状があれば、「これは病気かもしれない」と本人も気づくはず。しかし、認知症にはそれが全くありません。例えば言動が変だと感じた際に周囲が気づいてあげなければ、病気だということは分からないのです。

有効であるはずの薬物療法が課題となる

周囲が「これは認知症だ」と気付き、検査を行って本人に「あなたは認知症ですから、治療をした方がいいですよ」と伝えても、本人にはほとんど理解できません。これが、もう一つの厄介な点です。ここで“ほとんど”と表現したのは、ごく稀に本人が理解し、積極的に治療ができる場合もあるから。しかし、大抵の場合は理解できないでしょう。それが認知症です。

現時点で、認知症は「不治の病」です。進行する速度を緩やかにする薬はありますが、治す薬はありません。先日、喘息の薬が認知症に効くという報道がありましたが、これもまだ発見段階のようです。認知症は不可逆性の病気。治すことも止めることもできず、進行の速度を緩めることが今のところ最大の治療です。

薬物療法が有効であることは、すでに証明されています。しかし、ここでもう1つ問題が起きてくるでしょう。それが、「物忘れが主な症状の認知症の人が、どうやって定期的に薬を飲むのか」ということ。あるいは、どうやってパッチ式の薬を貼り替えるのでしょうか。それも、本人は認知症という自覚はないため、「何の薬を飲む必要があるのか」さえ理解できません。

例えば長い間、習慣的に血圧の薬等を飲んでいる人なら、その薬と一緒に飲むということは期待できるかもしれません。しかし血圧の薬等でも、高齢になれば忘れがちになっているのが現状でしょう。そもそも医師の方々は「1日3回」と言って認知症の方に投薬し、ちゃんと飲めると思っているか。薬物治療が有効であっても、それを服薬することが難しい。これは、認知症において大きな課題といえます。

何を引き起こすか分からない

最後の厄介な点として、生活が壊れてしまうということが挙げられます。認知症を患っている本人は、そのほとんどに認知症であるという自覚がなく、さらにそれを認めません。そして家族は病気だと分かっていても、その煩わしさに疲弊してしまうのです。

同じ話や質問を何回も繰り返したり、いつでも何かを探していたり。もし探しものが見つからなければ、「誰かに盗られた」などと言い出すでしょう。さらに家の中だけでなく、近所でも「物を盗られた」などと吹聴してしまいます。出掛けて行くだけの身体能力があり、それなりに会話はできるわけですから、聞いた相手はある程度信じてしまうかもしれません。たとえ「そんなことを言って回ってはいけません」などと言っても、本人は理解できないのですから困ってしまいます。あるいは出掛けた後、家に帰れなくなるといった事態も起きてきます。

一日中ずっと一緒にいるわけにはいかず、かといって、目を離すと何をしでかすか分からない。これでは、家族の生活が崩れてしまうでしょう。

このように、認知症が厄介な病気です。その理由は、整理すると次の通りとなります。

細かく挙げれば、まださまざまな厄介な点があります。しかし、医学の進歩はめざましいものです。研究が進み。かつては不治の病と言われていた癌でさえも、怖れるものではないと認識されるようになりました。同じように、認知症にもまた明るい未来があると信じたいものです。

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