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孤独死について考えてみる

2017-01-10

介護の仕事をしていると、当然“死”と直面する場面があります。いつもの時間に訪問すると大変に状態が悪くて119番通報。家族の不在時には一緒に救急車に乗ったり、予てからの話し合いによって救急車を要請せず主治医に連絡を取り、最期に息を引き取るまで看取ったり。そうしたことも少なくありません。家族と一緒、あるいは家族が駆けつけるまで一緒にいるということが大抵ですが、過去に一度だけ、「訪問したらすでに息を引き取っていた」というケースがありました。その経験から、孤独死について少し考えてみます。

呂律が回らず意思疎通がなかなか出来ない

まだ60代の方。独居であり生活保護を受けていて、お付き合いのある親戚や近所の人は誰もいませんでした。結婚して子どももいるそうでしたが、アルコール依存症を患っており、離婚してからはまったく音信不通の状態だったのです。精神科にかかって抗精神薬をたくさん服用しつつも、しかしお酒をやめることはできず。いつも、呂律の回らない言葉でした。

アルコール依存症を患ったからなのか、あるいは逆にそういった性格だから依存症になってしまったのか。それは分かりませんが、とても気性が激しく、いつでも怒っていて怒鳴るように話をします。とても恐かったですが、市役所の人やケアマネジャーに「暴力は振るわない人だから」と言われ、勉強するつもりでヘルパーの仕事をお受けしました。

自宅が山間にあったため、車を使わなければ買い物にも行けません。また、自分で調理もできないということで、一週間に3回は買い物と調理の支援を行っていました。

認知症はありませんので、担当するヘルパーの顔と名前はきちんと覚えています。「どんな物が食べたいか」「何を買ってきてほしいか」などといったことも要求できる状態。しかし呂律が回らないんので、なかなか聞き取れず何度か聞き返すのですが、すると顔色が変わっていくのが分かります。ときには「分からないのか!」といった風に怒鳴られることもありました。

突然訪れた孤独死

夏真っ盛り、暑い日の午前のこと。いつもの時間に訪問し、いつものように玄関を開けながら声をかけた時。「ふっ」っと、何か異様な空気を感じました。玄関のたたきからは足を踏み入れず引き戸を開けると、部屋の中は冷房が効いて涼しくなっていたのです。

本人はいつもの場所で横になっていましたが、声をかけても反応がありません。そのため、そこからすぐに出て上司に連絡し、上司からケアマネジャーや警察へと連絡をとっていきました。

警察はとても大人数がやって来ました。死亡の診断がされてからも「第一発見者はずっとここにいるように」と言われます。そのため、夕方まで家の外に立ち、何人もの警察の人に何度も何度も発見時の様子を聞かれました。その度に、同じことを答えます。後から考えると、話の内容にくいちがい等がないか確認するため、何度も尋ねられたのかもしれません。

死亡したのは未明の頃だろうということで、「ああ、これが『孤独死』と言うものなんだな」と思いました。

たとえ同居家族がいても、留守中に何かの発作で亡くなるかもしれません。あるいは、朝いつになっても起きてこないからと様子を見に行くと、いつの間にか亡くなって息をしていないという自体も考えられるでしょう。しかしそれでも、それは“孤独死”とは言わないのだと思います。

一人暮らしで親戚や近所の人たちと交流がなく、その人のことを気にかけてくれる人が誰もいない。そんな中でいつの間にか亡くなっていた場合を“孤独死”と呼ぶのではないかと考えるのです。

私が関わったこの方の場合には、それでも市役所の生活保護係の人やケアマネジャー、そしてヘルパーの関わりがありました。そのため、「死後、しばらくそのままの状態」という事態は避けられました。しかしこういった行政との関わりがない人ならば、気付かれるのに時間がかかってしまうのは当然でしょう。

年をとって一人暮らしをしているすべての人が、介護保険を利用しているわけではありません。例えば、地区の民生委員が、暮らしぶりが大変そうだからとサービスを紹介しても、拒否する人はたくさんいます。また、民生委員の訪問すらうとましいと言い、追い返してしまう人もいるのです。

いろんなメディアで、実にさまざまな孤独死の報道がされています。そんな中、介護保険を利用していた人の場合に「ケアマネジャーが関わっていながら……」「ヘルパーの訪問等、何か手だてはなかったのか!」といったコメントを耳にすると、自分の関わったケースを思い出してしまいます。

「ヘルパーの訪問を受け入れてもらえるまで時間がかかってしまった。もし訪問が開始される前に同じことが起きていたのなら、いつ、誰が発見者になったのだろうか?」

そんなことを考えさせられるのです。

身寄りのない(少ない)高齢者を孤独にさせないよう、地域社会で見守ったり、関わったりしていく取り組みはたくさんあるでしょう。しかし、そういった働きかけを受け入れず、自ら孤独になっていく高齢者がいるのです。

孤独死の問題を考えたとき、周囲からの手のさしのべ方ばかりを見るのではなく、高齢者自身が地域社会に溶け込んでいかなければならないことを自覚してもらう、そんな取り組みも必要ではないでしょうか。すべての人がそうだとは言いませんが、孤独死の背景には、本人の性格も大きく関わっているように思われます。

そして、これから年老いていく年代の私たちも、そういったことを考えて生きていかなければならないのではないでしょうか。「自分の人生なのだから、どう生きようと死のうと自分の勝手だ」などという考え方ではいけない。そう考えさせられたケースでした。

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