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ヘルパーという仕事

2018-08-02

先日、かつて私が所属する事業所のサービス利用をされていたお宅のお嫁さんから、とても嬉しいお手紙をいただきました。その際、改めて考えさせられたヘルパーという仕事の意義についてお伝えします。

お嫁さんからの突然の手紙

お手紙をくださった方は、私が所属する事業所のサービスを夫婦で利用されていたお宅のお嫁さんです。その元利用者のご夫婦(お嫁さんからすると義理のご両親)は、依頼をいただいたときからすでに認知症の症状が顕著で、認知症専門医への受診を勧めていました。しかし、お嫁さんとその娘さんはどちらも看護師。ご自分たちの見立てで「高齢なのだから、これくらいは特に問題はない」と判断し、専門医を受診することはありませんでした。しかしご両親の症状は坂を転げ落ちるように進み、2年と経たないうちに在宅生活が不可能なまでになってしまいました。最終的には夫婦ともに施設へ入所し、夫の方は約3ヶ月後にお亡くなりになりました。

今回、お嫁さんからいただいたお手紙に書かれていたのは、次のような内容です。

「引きこもり状態で家族が何をしても言うことを聞いてくれず、病院もデイサービスも行くことができなかったけれど、ヘルパーの方の上手な声かけで病院やデイサービスに定期的に行くことができた。家族がいないときにはショートステイも利用でき、本人にとってはもちろん、家族にとっても安心した生活を取り戻せました」

実はこのお嫁さん、利用を始めた当初はヘルパーに何も期待していないといった感じがありました。こちらが立てたサービス提供計画に対しても消極的だっただけでなく、認知症の症状のある義母の訴えを信じてしまい、ヘルパーの仕事内容にクレームをつけることもありました。

それでも1カ月、2カ月と経つうち、認知症が進んでしまった義理の両親のために自分たちの寝食さえも脅かされてしまうようになります。すると、やっと認知症を認めてヘルパーやケアマネジャーの提案を受け入れてくださるようになり、協力し合いながら在宅生活を維持していました。

そんな経緯のある方からいただいたお礼の手紙でしたので、関わったヘルパーやケアマネジャーだけでなく、直接は関わっていなかったヘルパーでさえも「ヘルパー冥利に尽きるね」と大変に嬉しいものでありました。

ヘルパーの仕事の意義とは

長年ヘルパーという仕事をしてきて、それは大変にスリリングな職業だという実感があります。 例えば、訪問したらすでに下顎呼吸していて苦しそうなのだけれど、家族からは「救急車は呼ばないでほしい」(自宅で看取りたい)と言われており、主治医の往診を待ち臨終に立ち合ったこと。

娘が認知症の母親に激怒して首を締めているところに訪問し、警察に通報、翌日はこれまでの経緯について1日警察で事情を訊かれたこと。あるいは、訪問するとすでに息を引き取った気配があり、中には入らず警察を呼んだものの数時間現場検証に立ち合ったことなど。数え上げれば、まだまだいろんなことを経験してきました。

ホームヘルパーの業務内容といえば、オムツ交換や入浴介助、調理や買い物、掃除といったことになるでしょう。しかし、各利用者がそれぞれにどのような理由で支援を求めているのか、その背景はさまざまです。体が不自由なのか、認知症なのか。一人暮らしなのか、同居の人がいても支援が難しいのか。そして、それはどういう理由からなのか……。そういった支援が必要になっている背景を理解し、その全てを受け入れて支援に当たらなければ、依頼してきた本人とその家族に対して、真の安心をサポートすることはできないのだと思います。

ヘルパーの仕事は依頼者の「生きる」と「暮らす」をサポートすることであり、そのための手段が作業として現れるのではないでしょうか。大げさに言わせていただけば、その人の命を預かっているとも言える仕事です。しかし、それに対する現在の評価は、ずいぶんと低いものです。それは、ヘルパーの給与にもはっきりと表れているでしょう。時給換算すれば、スーパーやコンビニの店員さんと変わらない金額で、人の命を預かる責任を負っていることになるのです。それでも続けていられるのは、やはり仕事に対する誇りなのだと思います。

介護保険制度が始まって、まだ20年足らず。医療保険制度に比べれば、まだまだ新しい制度と言えるでしょう。私たちは時代の先駆者、フロンティアなのだという誇りを持って仕事に取り組み、次の世代、将来の介護職の人たちに繋げていきたいと思います。

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