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視覚からの気づき 精神疾患を患う利用者の支援で重要なこと―3

2016-07-22

『気づき』には、さまざまな側面からのアプローチがある。視覚面・聴覚面・体験や経験面からなどによるものが主であるが、なかでも『視覚による気づき』は重要である。今回は、対人援助を行う上で、多くの情報をもたらすこの見ることによってもたらされる『気づき』について考える。

さまざまな角度からの気づきがあるが……

前回、『気づき』についてふれましたが、今回はさらにそれを分解し、事例を通して説明したいと思います。

『気づく』ということのなかには、見て気づく『視覚からの気づき』、聞いて気づく『聴覚からの気づき』、 そして、『体験、経験してみて知ることができる気づき』もあるかと思います。また、日ごろ「なんとなく気づいた」ということもあるでしょう。

実際に私も、なんとなく気づくという『感覚的な気づき』に関しては昔から鋭い部分があり、いろいろと感じることもありました。たとえば学生時代にクラスの中で誰と誰がみんなに隠れて付き合っているかなど、なんとなく見抜くことができました。昔はこの『感覚的な気づき』に関して自分は直観が鋭いからわかるのか? などと思っていましたが、どうして気づいたのかと心理学の観点から分析していくとしっかりと理由があるわけです。

どうして2人が付き合っていることがわかったのか? 例をあげて説明してみましょう。

あるときから2人が話をしなくなり何かあったのかと思っていたら、ふとしたときに話している姿を見たのです。「何かあったと思ったけど気のせいか」なんて思ったものの、ふだん、話をしていないわりに妙に距離が近い。しかも2人のやりとりが自然で、しかも笑顔で時折、ボディータッチをしながら会話。そう、まるで付き合っているかのような感じ。「あれあれこれはおかしいぞ」なんてまるで芸能レポーターのようですが……。

この出来事を分析すると、親密になればなるほど相手との距離は近くなると言われてます。満員電車や満員のエレベーターに乗っていて不快な気分になったことはありませんか? 人は親密になればなるほど、近づくことを許します。だからこそ、満員電車や満員のエレベーターのように他人が密集する中では、不快になりストレスが貯まるわけです。

特に視覚からの気づきには、対人援助を行う上での大きなヒントがある

話は脱線してしまいましたが、僕が感覚的に気づいたと思ったこの出来事は、2人のやり取りを観察していて気づいたわけですので、『視覚からの気づき』によるものです。身近なところではロングヘアの女性が急に髪をバッサリ切った、いつも昼はコンビ二のお弁当を食べてる人が急に手作り弁当を持参してきた、などに気づくと、「何かあったの?」なんて聞いたり、思ったりしたことはありませんか? これもどうように『視覚からの気づき』なのです。

『視覚からの気づき』によって、対人援助を行う上でありとあらゆる多くの情報を得ることにつながるので、とても重要なことです。また対人援助職だけではなく接客業をしている方にも大切なことですし、日常生活で人と関わる上でも、とても大事にしたいことなのです。

では、次に実際に現場や生活に今からでもすぐ活用できる『視覚からの気づき』について、事例をご紹介します。

自分はもう役に立たない人間だから死にたいと自殺未遂を起こした利用者

この事例は私が訪問介護で働いていたときに関わらせていただいたケースです。利用者は若くして店を開店し商売を始め、それ以来、仕事一筋、自身の店を守るために必死で何十年も働いてきました。ですが高齢になり、頭はクリアですが全身の筋力が衰えたことにより立位を長時間保つことができなくなって、握力もなくなりました。そのため自身ができる仕事がほとんどなくなり、最終的には店での居場所もなくなってしまい、店にいられなくなってしまいました。自身のできることは居室で箸の紙入れ作業やタレの詰め込み作業くらいです。

本人は店にいれなくなったことと、2つの作業しかできないということで、仕事ができなくなったと、とてもショックを覚えました。また仕事一筋で生きてきたため、趣味らしい趣味がまったくなく、何もやることがなくなってしまいました。家族がその他にも洗濯物をたたむなど、できる範囲での生活動作で可能な家事をお願いしてなんとか役割を持ってもらおうとしたものの、本人はそれでは満足せず、店で働かせてもらえるよう家族に何度かお願いしました。しかし、家族としては、かえって店にいられると危ないので困る、と何回か口論を繰り返してきました。その結果、本人は存在する意味がないと感じ、自身で喉に包丁を刺して自殺を図りました。

幸い、救急搬送されて一命はとりとめ、外傷は完治しましたが、精神は崩壊し、精神状態は改善されないままです。「自分はもう役に立たない人間だから死にたい」と自殺願望を抱いた状態で病院から退院することになり、自宅に戻ってきました。本人が再度、自殺を図らないよう、店の忙しい時間帯に訪問介護のサービスを導入し、本人を見守るため清拭、足浴といったサービスを入れて精神状態を観察し支援に入ることになったのです。

退院前カンファで、担当者会議。手探り状態でサービス開始へ

当時の私はまだ精神保健福祉士の資格を取る前で、精神系の知識はほぼなく、しかも自殺願望を抱いた方とどう接するかなんてさっぱりわかりません。担当者会議を行う前に、担当ケママネが退院前のカンファで自殺未遂を起こした方にどう接するかと、必ず刃物は室内に置かないということを聞き、それを担当者会議のときに共有しました。自殺未遂を起こしたほどなので精神疾患になっているのではないかと、事前にうつ病の本を読んでサービスに入るようにしようとしたことくらいでした。担当ケママネ、事業所内のヘルパー、家族と情報共有し、手探り状態でサービスに入るような状態でした。

サービスに関して拒否はほとんどなく、拒否すると家族に迷惑をかけてしまうと本人が理解していたため、スムーズに入ることができました。ただ、時折、家族ともめたりすると「死にたい」と言われ、趣味がない方だったため話すことといえば店のこと、家族のことくらい。しかもこの方のサービスに多く入っていたため、話のネタはすぐになくなりました。サービス当初はこういった点で困っていました。

家族の思いやりが詰まったカナリヤ、ポインセチア

そこで『視覚からの気づき』が重要になります。

1ヵ月ぐらい経ったころでしょうか。訪問すると刃物はないのですが、確認のために室内をふと見回したとき、カナリヤの鳴き声が聞こえ、鳥かごがあることに気づかされました。見るとカナリヤがいます。カナリヤのことを話題にすると「息子が買ってきてくれた。ピーちゃんって名前なの」と本人が喜んで話をしてくれました。本人は、カナリヤが鳴くと、ニコニコとほほ笑んでいます。

「なるほど、こういう身近なことで話が広がる……」と、訪問するたびに刃物の有無を確認しつつ、室内で何か変わったことはないか、本人に悟られぬように注意深く観察するようになりました。家族の方がポインセチアの植木を飾ったりしてくれたときは、「息子が買ってきてくれた」と、嬉しそうに話してくれたことを覚えています。

水槽に熱帯魚が泳いでいたり、季節ごとに鉢植え飾られたりしていたので、そういったことも話題にしました。

当時の私は、ただ話のネタを探すために、何か変化はないかと室内を観察していました。しかし、この記事を執筆していてあらためて気づいたのは、カナリヤ、ポインセチアなどの話を笑顔で話しているときは、本人と家族の関係はお互いに良好で、主介護者の息子がそれらを買ってきてくれて気にかけてくれていることに対し本人が感謝していて、嬉しかったのではないかと(家族もそれを見て喜んでいたことと思います)。また精神状態も安定していたことがわかります。

確かに当時を振り返ると、本人の口から「私なんてもう死んでも〜」「私なんて役に立たないから〜」とネガティブな発言が時折ありましたが、表情を見ると、自嘲気味ではあっても笑みがあり、そこまで切迫した精神状態ではないのだろうと、感じていました。

その証拠に本人、介護者とお互いに葛藤や苦悩はあったものの、在宅生活は落ち着いていました。言葉だけだと気になる発言ですが、表情や身振り手振りも全体的にしっかり見ていくと、新たな気づきがあるわけです。

いなくなったカナリヤ

あるとき訪問すると、カナリヤがいた鳥かごがなく、鳴き声も聞こえてきませんでした。嫌な予感がしました。本人にカナリヤのことを聞くべきかどうか迷いましたが、ふだん、カナリヤの話をしているのに逆に聞かないのも不自然なので聞いたほうがいいと思い、どうしたのか聞いてみました。すると「死んじゃったの」とひと言。「残念ですね」と言葉を返すと、どうして亡くなったか教えてくれました。どうも急変したようで原因がわからなかったみたいです。ただ本人には、カナリヤの死に関して思うことがあったようで、「死んじゃったのよ」と無表情で繰り返し、私を見る目が瞬きをせず一点を見据えておりました。

正直、本人の精神状態は正常な感じではなく、今日のサービス中、何を話せばいいか、どう対応すればいいのかと焦り、また何か悪いことが起きなければよいが、と不安を覚え、冷や汗が噴き出たことを覚えています。幸い、この日を含め本人はしばらく、さすがに精神的に落ち、支援者側は本人がもしかしたら自殺を図るのでは……と心配をしていましたが、幸いそういった行為はなく、胸をなでおろしました。

自殺願望の強い利用者の支援の場合、情報量が限られるので『一つの気づき』が、今後の支援のターニングポイントになりかねない

自殺願望が強く、いつ何時、再度、自殺を図るかわからない方であったため、とても難しい支援でした。記事を書きながら、今ならどのように本人、介護者の感情をくみ取り支援をしていたかなど振り返り、とても深く考えさせられました。

大変な支援になればなるほど、情報量は少なくなります。信頼関係を築いてからでないと、自身の思いをなかなか言葉で伝えてはくれません。また信頼関係を築いても自身の思いは語りたくないと表向きの顔しか出さず、自身の本音を引き出すことができない場合もあります。そのため『気づく』ということがとても重要になりますし、『一つの気づき』が今後の支援のターニングポイントになったりする場合もあります。

そのため、支援においては当たり前と思われがちな『視覚からの気づき』ですが、とても大切なことであると思われます。ただ見て終わるのではなく、それが本人、介護者にとって何を意味するのか、さまざまな角度から視点を変え、深く考えて意識的に見ることで言葉では語られない新たな気づきが生まれるのではないかと思われます。

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