聴覚からの気づき 精神疾患を患う利用者の支援で重要なこと―4

2016-08-31

前回は、「視覚による気づき」に関して事例をもとに、それが対人援助を行ううえでどれだけ重要なことかを考えたが、今回はもう一つの「気づき」である、耳から聞いて得られる『聴覚からの気づき』に関して考えてみたい。

相手の発した言葉の真意と感情を汲み取る

相手の発した言葉から、何を考えているのか、あるいは何を思っているのかを気づく。

おそらく、それは当たり前のことだし、基本的なことであろう。

相手の発した言葉には、喜怒哀楽の感情が込められる。たとえば相手が「やめてよ」と言ったとしよう。その場合、本当に嫌でやめてほしいと言っているのか、もしくは喜んで言っているのか、いろいろなことが考えられる。「言葉とは裏腹に〜」という一説を小説等で目にしたことがあると思うが、まさしくそれである。

また、話をしていて急に沈黙してしまう場面がある。

「沈黙する」とひと言でいっても、ただ黙ってしまうのではなく、話の流れのなかで何か理由があって沈黙に至るわけで、理由がしっかりとある。そのため、話をただ聞いて終わりにするのではなく、相手の発した言葉の真意と感情を汲み取ることが、対人援助職として重要である。

では具体的にどのようにして相手の真意と感情に気づくことができるのか?

感情傾向を推しはかるには、文末助詞に注意する

私が尊敬している山田 明先生(専門学校に通っていたときに、日本福祉教育専門学校と天理大学で講師をされていた)の『ソーシャルワーク実践入門』の講義で、「感情傾向を見るには文末助詞に注意すると気づきやすい」と教えていただいた。

文末に感情傾向が強くでる文末助詞は「〜わ」「〜ね」「〜です」「〜よ」だという。ここで実際に文末助詞を使って、わかりやすい例文を挙げてみる。

「私は言ってないわ」「私は言ってないね」「私は言ってないです」「私は言ってないよ」……この4つの文の文末助詞の語尾を、最初は弱く読んでみていただきたい。そして次に、強めて読んでみる。どうだろうか? 強く読んだときのほうが眉間に力が入り、怒りや拒絶と言ったマイナスの感情になっているのがわかる。そもそも「眉間にしわが寄る」という言葉の意味自体が、不機嫌そうな表情をすることを意味していることから、マイナス感情であることがわかる。

またこの中でも特に「〜よ」が強いときは、抗弁や自己主張である場合があるという。

山田先生の教えでは、文末助詞から相手がプラスの感情かマイナスの感情かを、汲み取ることもできるという。

次に、先月、自殺未遂を起こした方の事例を挙げたい。この方の発した言葉の、文末助詞に注意しながら、感情を汲み取っていきたいと思う。

自殺未遂を起こした利用者の感情……「〜ね」の多用

この方に関しては、前回すでに概要を記載させていただいているので、簡単に説明する。

若いときから自営で店を営み、経営に人生を捧げてきた方だった。しかし高齢になり、日常生活動作の衰えから、働くことができなくなった。本人としては働きたいが、家族としては仕事場に来られても、邪魔になり困る。

そこで家族は考え、居室でできる簡単な作業を頼んだものの、本人はそれでは満足できない。店で働くことがすべて、と生きてきたため、趣味もなく何もすることがない。そのため本人の出した結論は、「店で働けないなら生きていても仕方がない。自殺しよう」だった。

そして自殺未遂を起こしてしまった。

詳細については、前回の記事を読んでいただければ背景等がわかるので、一読していただければと思う。

当時、私は訪問介護で働いていた。この方のサービスに入ったときに、本人が時折、口にしていた「私なんてもう死んでもね」「私なんて役に立たないからね」というネガティブな発言があった。これに関して、改めて振り返ってみると、通常時に、「〜ね」を多用していたことに気づく。自嘲気味に言っていたので「〜ね」は自虐的な笑みを含んだ少し声のトーンが上がる「〜ね」であった。

また「〜ねー」と伸びることもあり、そんなときは、内容的にはネガティブだがそこまで深刻ではないのでないか、と考えられた。実際にこの発言をしているときは特に問題行動はなく、家族からも困ったこと等の訴えはなかった。

では問題があると思われるときの文末助詞はどうなのか? それを解説したい。これも前回ご紹介した、大事にしていたカナリヤが亡くなったときのエピソードである。

カナリヤが亡くなったときの「〜よ」の使い方に込められた思い

「カナリヤが亡くなったときに『死んじゃったのよ』と無表情で繰り返し、私を見る目が瞬きをせず一点を見据えていた」……前回記載した一文だ。

この時点で、かなり異様なネガティブな雰囲気が漂っていたが、当時の私は精神系の知識もなく、サービス中に本人とどう接していいのかわからずに、相当動揺した。

今回のテーマである文末助詞にスポットを当て「死んじゃったのよ」の「〜よ」に隠された感情を考察していくと、このときの「〜よ」は少し沈み込み、トーンが下がって弱く、喜怒哀楽の「哀」の部類に入るのではないかと思われる。だが、どこか感情が入っていなかったような感じがしたと記憶している。

「死」ということ自体、相当にストレスのかかる出来事で、一般的には自殺やうつ病を起こしやすいとも言われている。しかも自殺未遂者が「死」というものに直面しているわけだから、たかがカナリヤの死と思ってはならない。無趣味だった本人が心底かわいがっていたカナリヤであったから、この出来事が本人にどう影響するかは予測不能である。したがって、かなりハイリスクな出来事であろう。またこのとき、何回も「カナリヤが死んじゃったのよ」と繰り返しているのだ。

しかし、その後、悲しい、寂しい、辛いといった感情はほとんど表さず、泣いたり涙目になるということもなかった。無表情であった。

辛すぎて気持ちを語りたくない、ということがよくあるが、この方の場合は、亡くなった悲しみ、落ち込みもあるだろうが、それよりもカナリアが亡くなったという出来事を、自身に置き換え、重ねることで、何か思うところがあったのではないだろうか。

だからこそ、無表情で瞬きもせずに、何度も亡くなったと繰り返したり、悲しみの感情を言葉で表さなかったり、その後も哀悼の意らしきことすらほとんど聞かなかった。

文末助詞に秘められた、相手のマイナスの感情を察知する

『死』に対して具体的な話がなかったのは、『死』というものに対する自身の思いを話したくなかったのではないか。家族に買ってもらい、大事にしていたカナリアの死を自分自身に置き換え、マイナスの感情を抱いていたと考えられる。

幸い、このことで、何も起きなかったが、家族や支援者たちは、本人がどう思っているのかいまいちわからないと、いつにも増して注意を払って接していた。

もし、このときに油断していたら、何が起きていたかわからなかい。

もしかしたら、人知れずずっと悲しみの感情が続いていたりするかもしれないが……。

このように、相手の感情すべてを汲み取ることということは困難である。しかし、文末助詞に注意しつつ前後のやりとりから見てみると、相手の抱いている感情がプラスなのか、マイナスなのかを察することができるし、本人が何を考えているのかも見えてくることがある。

自殺願望が強い場合、何気ないひと言に助けを求める声が……

このような事例のように、自殺願望が強い方の場合、発せられた何気ないひと言が重要であり、その言葉の中には喜怒哀楽や、助けを求める声なき声が秘められていることがある。その思いを汲み取ることができるかどうかで、生死の境を分けることがある。

それだけに相手の発する言葉から感情を汲み取ることは、とても大切だ。

大変な支援になればなるほど、情報量は少なくなる。また本人が話したくないこと、話せないこと等、見逃さずに気づくことが、支援者として求められてくる。そのため、わずかな部分で「気づく」ことが肝心となる。

しかも、「一つの気づき」が、今後の支援のターニングポイントになる場合もある。

「視覚からの気づき」に加えて、「聴覚からの気づき」も対人援助を行ううえでとても大切なことである。

対人援助職に限ったことではなく、今日の混沌とした社会においては、相手の気持ちを汲み取るとことがとても必要とされる。

そこに受容と共感、そして思いやりを加えていただき、人との関わりの際に役に立てていただければ、と思う。

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