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介護する人を先に救うということ

2016-10-03

警視庁による「原因・動機が介護、看護疲れにあるとされる自殺者数と殺人事件の検挙数」の2009〜2013年までのデータによると、自殺者は毎年300件、検挙された殺人事件は50件余りとされています。統計結果は把握できた数だけなので、潜在的に介護に追い詰められている数はもっと多いのではないでしょうか。少子高齢化の日本において、在宅でも施設でも慢性的な人手不足にある状況では、ごく身近な人が介護のある生活に追い詰められているかもしれません。介護する人を救うことで、介護される人も結果的に救われるということが大いにあり得ます。ここで、1つの実例をご紹介しましょう。

差し歯が折れるくらいの激情

90歳女性、歩行は1人で出来ますが動作が緩慢で排泄を失敗してしまいます。認知症も1年増しに進行し、介護者である同居のお嫁さんに暴言を吐くこともしばしば。船乗りの夫は若いときから留守がちで、家事も介護もお嫁さんが一人で行っています。

ある日のトイレ介助で、あと少しのところで間に合わず下着と床が汚れてしまいました。介護のある日常生活ではそのようなことは少なくないため、いつものようにお嫁さんは下着の交換に取り掛かりました。

「あんたが下手くそだからこうなるんだよ。出来ない嫁だね」

頭の上からこんな言葉が聞こえました。お嫁さんは、耳まで火照るほどの怒りの感情が込み上げたと言います。それでも「認知症だから仕方ない」と歯を食いしばり、トイレの床の掃除まで終えました。しかしふと気が付くと、噛みしめた差し歯が折れていました。次の瞬間、お嫁さんの中で惨めさと、あきらめの感情が芽生えたそうです。

介護者のあきらめと開き直りは「SOS」

ついに、お嫁さんは介護をしなくなりました。最初に異変に気が付いたのは、週に2回利用しているデイサービスのスタッフです。月曜日の利用時に着用したリハビリパンツがそのまま交換されずに、木曜日の利用の際にずっしりと尿汚染された状態でデイサービスに来るようになったのです。

酷い尿臭があると共に、陰部もただれそうになっています。自宅での介護の方法の改善が急がれましたが、デイサービスのスタッフとケアマネジャーで情報のすり合わせをしました。そこで尿汚染はあるが、便汚染はないということがわかりました。このことから、お嫁さんは全ての介護をやめてしまったのではないのだろう、苦しんでいるのかもしれないということに気が付きました。ケアマネジャーが訪問して問うと、お嫁さんは言いました。

「虐待と思われても構わない。お世話はしていない。デイサービスで手厚く介護をしてもらえばいいじゃない」

「でも、便の時はトイレに付き添ってくれていますよね。汚れていないですもの。デイの職員もみんなそう思っていますよ」

ケアマネジャーが投げかけたこの言葉に、お嫁さんは下を向いて黙ってしまいました。

孤独の叫び「介護される人ばかり優しくされてズルい」

しばしの沈黙の後、お嫁さんは決意したような表情で言いました。

「介護の相談の時、デイの送り迎えの時、みんな義母に優しくしてくれる。年老いて認知症になった義母をかわいそうがってくれる、それはありがたい。でも、何で義母だけ……」

感情を吐露しているはずなのに、それでもなお沸き上がる想いを抑えてやっと言葉を選んでいるのが見てとれました。このお嫁さんにとって、尿汚染しているのをわかっていながら交換しなかったことは非常に辛かったことでしょう。

介護者を救う糸口を見つける

介護者であるお嫁さんは、相当に苦しみ悩んだ結果「介護をしない」という結論に至ったことがわかりました。しかし「介護をしない」と決めたことで、お嫁さんの気持ちが救われたわけでもありませんでした。

食事を作り、服薬介助をし、便の時はトイレに付き添って介助をしています。お嫁さんを先に救うことで歯車がまた回りだす余地はあると判断しました。

ケアマネジャーの訪問の時に垣間見られた「自分にも目を向けてほしい」という感情を踏まえて、再度デイサービスのスタッフと話し合いました。そして、改めて気が付くこと、気にかかることを整理。そして、あるスタッフがこんなことを言いました。

「朝、迎えに行った時と夕方戻った時でお嫁さんの服装が違っている。Tシャツを交換している日がある。そういう日は庭先にたくさんの草がまとまっていることが何回かあった。お義母さんがデイサービスに行っている時も、お嫁さんは一生懸命家のことで動いているのではないか。休息していないかもしれない」

デイサービスの行き帰りで、ありきたりの言葉や単に労をねぎらうのではなく、お嫁さんの様子や行動に着目して、よりお嫁さんのその時の気持ちや感情に合った具体的な言葉かけができるように努めることにしました。

孤独からの解放

具体的にした会話の一例です。

スタッフ「カーネーションを地植えしたのですね。2日前にはありませんでしたよね」

お嫁さん「息子が送ってきたの。枯れる前に地植えしたら来年また咲くんですって」

スタッフ「そういえば、お義母さんがデイに行っている日も草取りをしているでしょう。よく働きますね。デイの日くらいは休息を、と言われても主婦は動いてしまいますよね」

(お嫁さんは驚きと褒められて嬉しいという表情)

お嫁さん「そうなのよね。つい動いてしまう。私が勝手に動いて疲れてしまうの。休めばいいのに。主婦ってそうなのよね」

以後、このスタッフ以外でも「うちは草ぼうぼうで恥ずかしいですよ」「カーネーションは地植えするといいのですか。知らなかったなぁ」という具合に、花や庭の話題を糸口にして信頼関係を築いていくことができました。ケアマネジャーのモニタリング訪問でもお嫁さんは

「デイサービスの人たち、よく見ているのね。私のことも気が付かないところでよく見ていたのですよ」

と笑顔で話される余裕ができていました。このころには、もうケアマネジャーから尿汚染の話をする必要はなくなっていましたし、逆にお嫁さんから「肌に優しいお勧めの尿取りパットってどんなのかしら?」という相談を受けます。思わず、心の中でデイサービスのスタッフにガッツポーズをしてしまいました。

介護する人を先に救えば両方救える

「自分一人で苦労している」と思い詰めると、介護に限らず仕事でも家事でも嫌になってしまうことがあります。時には頑張っていることを認められたい、褒められたいという気持ちは純粋で素直な感情です。しかし、改めて相手を褒めるということが家族間や親戚などでもできない場合が多く、他人だからこそすんなりとできる場合があります。

在宅介護において、主たる介護者の心身の健康はその家の生活を支える要といえるでしょう。「介護される人、介護する人のどちらも救えない時は介護者を救う」という考え方もありますが、「介護する人を先に救えば両方救える」ということも十分可能であると信じています。

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