介護の現場では、よく「自分で出来ることは自分でしましょう」と利用者さんに声がけすることがあります。実際、介護職として働いたことのある人なら、一度はこの声がけをしたことがあるのではないでしょうか。私自身も長い介護職の中で、何の疑問もなく使っていました。また、ケアマネジャーの業務を行うようになってからは、ケアプランに記載したこともあります。これは自立心の維持と向上を支援するという意味で「どうか自分で出来ることがいつまでも出来るようであってほしい」という周囲の願いも込められており、本来は悪意もないのです。しかし、この何気ないフレーズに違和感を感じるような気付きと出来事がありました。
脳梗塞後遺症のため、左半身麻痺をきたしている65歳女性Aさん。身体状況や自宅の環境、介護の人手の面から介護老人保健施設の利用を余儀なくされています。
長男が遠方から帰省するタイミングで自宅に帰る3か月に1回の外泊を楽しみに、施設でのリハビリを頑張ってきました。介護老人保健施設での生活は3年目を迎えました。発症時の年齢が若かったこともあり施設での規則正しい生活や行事やレクリエーション活動など、毎日の施設での生活全体をリハビリと理解し意識して暮らしています。
介護職員の多くは長男と同年代で、その働きぶりに目を細め優しい言葉がけをしてくれます。介護職員が困るようなことはしませんし、逆に他の利用者さんよりも自身が若いため、自分で出来ることは自分で行って介護職員の手を煩わせないようにしようと意識しています。介護する側からすると「対応しやすい利用者さん」です。
そんなAさんが風邪をひいたのをきっかけに動作が不安定になってしまいました。いつものように要領よく車いすに移乗が出来ません。一人で出来ていたトイレでの排泄もできません。申し訳ないと嘆くAさんに、「体調が悪い時は仕方ないよ、遠慮しないで呼んでください。」介護職員はそう声をかけました。
数日の後、風邪の症状は治まりましたが食欲も減退していたAさんは体力が低下してしまいました。傍目には風邪も治まったのでいつものAさんに戻ったように見えますが、Aさんは車いすへの移乗やトイレまで自走することも一人ではできないと感じています。ナースコールで介護職員を呼び「すみません、手を貸してくれる?」Aさんは済まなそうに頼みました。
介護職員は「自分で出来ることはやってみましょう。風邪も治ったのだし、いつまでも頼っていてはAさんのためになりませんよ」と言いました。Aさんは「そうよね、でもまだ不安で。体に力が入りにくくて」と言いながら介助をしてもらいました。
「自分でできるなら頼まないのに……」
Aさんは、心の中でそうつぶやいたそうです。
Aさんの体力は予想以上に回復してきませんでした。焦れば焦るほど体は思うように動きません。介護職員を呼ぶことがためらわれたので一人でトイレに行こうとしたある日、車いすの移乗に随分時間がかかってしまいました。ようやく車いすに座り自走を開始しましたがなかなか進みません。トイレに着いたと同時に失禁してしまいました。仕方なくトイレからナースコールをして介護職員を呼びます。
「あら、Aさん! 間に合わなかったの? 無理せずに先に呼んでくれても良かったのに」とほほ笑む介護職員。「ああ、最初からお願いすれば良かった」Aさんは後悔と次からはお願いできるという安堵の気持ちになりました。
ところが、Aさんが次にトイレに行きたくなった時にベッド上からナースコールを押したところ、予想とは違う対応をされてしまったのです。駆けつけた介護職員は「車いすに乗ってから押せばいいのに。Aさん、自分で出来ることは自分でしないと本当に何もできなくなるよ」と言ったのです。Aさんは思わず「自分で出来るなら自分でやっている、出来そうにないからお願いしているのに!」と、言い涙があふれてきました。
一連のAさんの言動は施設内のカンファレンスの対象となりました。Aさんの動きが以前のように軽快でないのは一時的な体力低下であることは明らかでしたが、どこまで介助をするのかを評価をしようということに。「Aさんの言動が前と違う。依存心が強くなった」という声が介護職員から上がったのです。「出来ない時は介助してあげてほしい」というケアマネの助言は一蹴されてしまい、改めてカンファレンスをすることに至りました。
決めるべきは介護職員の対応を統一することであると思われましたが、実際に介護をする現場の声が優先的に取り上げられることは施設介護ではよくあることでした。ここまで来るとAさんも精神的に不安定になってしまい、本来出来ることまで出来なくなっていました。食欲もなくなってしまい、食べることを途中でやめてしまいます。気を許せる介護職員が傍についていてくれると食が進んだり、おにぎりにすると食べることができたりしました。そのような姿を「甘え」や「依存心」と評価する介護職員もいました。
Aさんは自分に向けられる介護職員の視線や言葉に恐怖を覚えていました。「Aさんは本当はできる。頑張って」という言葉こそが、どんどんAさんを追い詰めます。
そのため体力が本当に回復してからも、Aさんはまたいつか困った時に手助けしてもらえないと困るので、普段からできないことが多ければ良いのではないかと考えるようになりました。そうして、人が変わったように何でも頼むように。ベッドの乗り降り、食事の介助までお願いしてしまいます。トイレに自分で行くという行動は皆無です。「自分で出来ることは自分で……」と介護職員が言いかけると「できません」と答えるようになりました。
介護職員はいよいよ困ってしまい、施設長である医師が登場することになるのでした。
Aさんの言動について、介護職員、ケアマネジャー、リハビリ担当の意見はそれぞれに言い分があり頑なでした。
介護職員は「依存心」、ケアマネジャーは「今は本人の要望に応じてほしい。すぐに機能低下するとは思えない」、リハビリ担当は「リハビリにはよく取り組んでくれているので、介護職との信頼関係はどうなっているのか」ということを重視しています。意見がまとまらず、Aさんへの対応も統一できなかったので、とうとう施設長である医師に相談することになりました。医師はこれまでの経過を聞くと、次のように話します。
「利用者は気持ちに折り合いをつけてここで生活している。望んで施設の利用をしている人がどれだけいるのだろう」
この医師の一言で、皆はハッとしました。
Aさんは体が不自由なことで施設介護を余儀なくされています。そんな中でも自分は若い、リハビリを頑張りたい、他人の世話にはなるべくなりたくないという気持ちで過ごされてました。少し手を貸してほしいと求められた時になぜただ助けてあげることが出来なかったのでしょうか。自立支援を目指すという大義名分のもと、普段何気なく使っていた「自分で出来ることは自分でしましょう」という言葉が、Aさん個人の心身の状況を推し量ることを邪魔していたのです。
こうしてAさんに対しては「Aさんが求める支援を先回りして行うくらいの意識で当面は関わる」ということになりました。皆がよく関わることで安心感と介護職員との信頼関係を回復できることを目指します。それが出来れば、また以前のようなAさんに戻ると信じて対応することに決まったのです。
「トイレに行きたくはないか」
「ベッドから車いすに移乗してホールに行きたくはないか」
「食事はおいしく食べているか」
など、Aさんに積極的に介護職員のほうから先に関わるようにしました。先回りした介護は3週間続き、Aさんに変化が見え始めます。一人で車いすに移乗し、ホールに自走して現れるようになったのです。
そして、トイレに行くことも全介助に近い状態であったのが「ちょっとトイレに行ってくるけど、遅くなったら途中で様子を見に来てほしい」と介護職員に声をかけて一人で行くように。先回りした介助の成果が、Aさんの自立心を取り戻しつつありました。
年齢が若くても老いていても、誰かの介助が必要になってしまった時、どのような気持ちになるでしょう。家族になるべく迷惑をかけたくないので、本意ではないが介護施設の利用をする。あるいは家族の都合に合わせて外泊をするなど、気持ちに折り合いをつけることでしょう。
病は急にやってくるもの。そして、時に後遺症が人を苦しめ、それまでの生活を一変させてしまいます。誰もが「こんなはずではなかった」と繰り返し思うことでしょう。朝目覚める度に、自分が出来なくなってしまったことを毎日痛感することになるかもしれません。
「自分で出来るなら人に頼まない」
「好きで施設に入っているのではない」
でも、気持ちに折り合いをつけることはできる自分がいる。このことだけで十分気持ちは自立していると考えることはできるのではないでしょうか。
全否定することは出来ませんが、「自分で出来ることは自分でしましょう」と安易に口にし、ケアプランに堂々と記載することに今は違和感を感じています。