介護保険制度の制定と共に現れた「ケアマネジャー」という新しい資格とその存在。介護を必要とする高齢者の望む暮らしを実現するため、それに向かってケアチームが適切な関わりが出来るようにケアプランを作成する役割を担います。しかし「ケアマネジャーは偉そう」「ケアマネは何もわかっていないのに上から目線」などという言葉を耳にすることも。介護職を10年経験し、ケアマネジャーとして6年目となった私自身。自己への振り返りと自戒、そしてケアプランにかける想いをお伝えしたいと思います。
ケアマネジャーとして仕事を始めたときに、「居宅介護支援のケアマネジャーこそがケアマネの醍醐味で花形」と話すベテランのケアマネジャーに出会いました。しかし私には、なぜそう言い切るのかが理解できなかったのです。そこで、「介護施設に入居せず自宅での生活を続けている高齢者や介護にあたっている家族の支援にこそやりがいを感じる」ということだと考えました。しかし、どうやら別の意味もあったようです。
ケアマネジャーとしてショートステイにモニタリング等で訪問すると、玄関先で丁寧な挨拶を頂くことが少なくありません。「どうぞお座りください」と、どこからともなく丸椅子を持った介護職員が現れて、幾度となく腰掛けるように促されることがあります。モニタリングのために訪問しているので、利用者がベッドへ横になっていればしゃがんで話せます。こちらとしては接待じみたことを期待しているわけではないものの、場合によってお茶まで出てくることまであるのです。
福祉用具事業所との関わりでは、展示会や研修に招かれると豪勢な昼食付きだったり、たくさんの試供品や用意されていたひざ掛けを持ち帰っても良いとまで言われたり。介護職として働いていた時には考えられないような周りの対応に、大変驚き戸惑いました。
特にショートステイのモニタリングでは、相談員や介護職員は忙しい業務中であるにも関わらず、ケアマネジャーが来たとなると仕事の手を休めさせてしまっているように見受けられ、訪問するのが申し訳なくなります。
介護職として通所サービスで働いていた際、事務室から「今ケアマネが来て、そっちに向かったから失礼のないように」と内線を受けたことがあります。また、担当者会議に介護職員として出席した際、話し合いの中で車いす付属品としてクッションのレンタルを新たに開始することになったケースでは、帰りがけにケアマネジャーが福祉用具担当へ「手土産が出来て良かったでしょ」と言ったのを目にし、不快な気持ちになったこともありました。
ケアマネジャーに気に入られないと新規の利用者の紹介がされない。そんな思いが介護の現場には確かに存在し、自分が介護職として働いていた時にはケアマネジャーの存在を特別視していたことも。このような周りの対応から、自身の存在を勘違いして捉え、「偉いケアマネジャー」が出来あがってしまうことは否めません。
また、「いい人ケアマネジャー」としていつも本人・家族、サービス提供事業所と同じ目線と立場でいるスタンスが強く、実は「御用聞き」になってしまうケアマネジャーもいます。ケアマネジャー自身が担当している全ての高齢者の変化を随時把握し、生活の全てを知っているということ。これは不可能なのですが、それを「悪い」と引け目に感じると、御用聞きケアマネジャーになってしまう可能性があるのです。
例えば訪問介護をケアプランに位置付けている場合、ヘルパーは高齢者の少しの変化や新たな気づきを知る機会に多く出くわすでしょう。そして、ケアマネジャーに新たな情報や提案をしてくれます。ヘルパーは直接生活の場で関わるので、具体的なエピソードのもとに話ができることから説得力があります。ケアマネジャーがそれを「ありがたい、もう少し分析しよう」とするか、「そうなのか、ヘルパーさんにお任せします」とするのか。この考え方次第で、ケアチームの中でのケアマネジャーの立ち位置に大きな違いが生じます。
ヘルパーから得た情報が新たなニーズになることもあり得るでしょう。もちろんそうでない場合もあるので、状況をよく把握し分析すること、新たにケアプランに位置付けるのであれば制度上適切かの確認をすることも、ケアマネジャーの役割となります。
しかし、例えば「ヘルパーさんに勧められたからショートステイの利用を検討したい」と家族から相談を受けて、いきなり調整に入ってしまったこと。あるいは、ケアプランへ安易にケアを追加するという書面上の作業だけを行なってしまった経験が、恥ずかしながら自分としてもありました。
ケアマネジャーの多くは元職が看護職や介護職で、介護現場で働いたという経験をお持ちでしょう。そのため、ある意味ではケアチームのメンバーの気持ちも良く理解できます。しかし前述したように、介護現場では経験しないような営業や接待のような対応を受けることで、「ケアマネ様」と自分で思い込んでしまう瞬間があります。また、介護職員としての業務の大変さも分かっているので、つい、ケアプランの変更を依頼されると安易に了解してしまう気持ちも持ってしまいがちです。
私自身、ケアマネ業務に慣れてくると、介護支援専門員基礎研修を受けていた頃によく耳にした「ケアマネジャーとしての立ち位置」を忘れてしまこともありました。そんな時、本来のケアマネジャーの立ち位置やケアプランの意義について考えさせられる出来事があったのです。
ある難病の方の在宅介護のケースです。他の居宅介護支援事業所のケアマネジャーから引き継いで受け持つことになったのですが、あることに気付きます。訪問介護のケア内容でケアプランに位置付けられていないのにケアが提供され、保険請求がされていたのです。
難病で四肢が動かないため、長年近所の床屋さんが自宅に訪問して散髪をしてくれています。呼吸器を使用しており、車いす移乗はヘルパーが2人がかり。散髪時にはリクライニングの車いすに座ります。ベッドから車椅子への移乗、そして散髪後にベッドへと戻る際の移乗には、確かにヘルパーの支援が必要です。
散髪にかかる時間は、準備と後片付けを含めて約60分。若くて健康、就業していない同居家族もある方なので、この散髪中にヘルパーが掃除・洗濯するということを、ケアプランには位置付ける必要性が生じません。しかし。訪問介護の提供時間は「おむつ交換・車椅子への移乗15分〜散髪中のケア60分、着替え・ベッドへの移乗15分」。通して合計75分とされ、長年保険請求されていたのです。散髪中のケアについて確認したところ、次のような内容でした。
「ヘルパーの一人は呼吸器の見守りを行い、もう一人は床屋さんにヘアブラシなどの物品を渡したり、ケープを持ち上げたりしている」
散髪前後の移乗介助が2時間をおかないケアであること。また、同居家族が立ち会っていてもヘルパーが2名必要ということについて、話を聞く限りでは合点がいきません。そのため、保険者の判断を仰ぐ必要があることが幾つかありそうでした。このことを訪問介護事業所に伝えたところ、思わぬ反論に遭ってしまいます。
「前のケアマネジャーは問題視しなかった。本人・家族が安心できることなら何でも言うこと聞いてくれた」
訪問介護事業所のサービス提供責任者は家族を巻き込み、これまで通りのケアプランで進めてほしいの一点張り。しかしケアマネジャーとして、やはりグレーゾーンである事柄は保険者の判断を得ておく必要があって譲れません。保険者の判断でOKを得れば、堂々と何の不安もなくサービスを提供できますし、保険請求もできるのです。今後のことを考えても、実地指導の際にこれまで保険請求した分が不適切とされたときの利用者・家族にかかる不安や迷惑、訪問介護事業所の困惑を思うとなおさらでしょう。
しかし、長年行ってきたケアを見直すということに納得はしてくれません。サービス提供している訪問介護事業所は全国規模で展開しており、サービス担当責任者は、遂に地区の責任者を連れて居宅に訪問してきたのでした。
ここで初めて地区の責任者に「ケア内容の精査も譲れないが、何よりケアプランに位置付けられていないケアを長年行ってきた」ことを話したところ、大変驚いていました。
そして「それでは議論の余地もない」ということになり、結局はケアマネジャーとサービス担当責任者、地区の責任者の3者で保険者と話し合いをすることに。ケアマネジャーとサービス提供責任者は、これまでの顛末を書面で提出することにもなったのです。ここまで話が大きくなってしまうと、今後のケアチーム内での人間関係も危ぶまれます。
このケースでは制度の再確認と市町村の判断の結果、「散髪作業の前後の2時間をおかない移乗のケアは合算して請求」「散髪中は介護保険サービスに該当するケアはなし」という結論に至りました。ヘルパーの2名対応については、移乗時の呼吸器の速やかな着脱や安全に移乗するため、その必要性が認められました。
難病で在宅介護しているので、訪問介護は年中無休で日に複数回ケアに入ります。本人・家族との密着度も強く、途中から現れたケアマネジャーとしてはこの出来事の後、どうしても孤立感を感じてしまうこともありました。
「前のケアマネジャーは出勤途中で診察券を出してくれたのに」
「もっと臨機応変に考えてもいいじゃない」
何かと、以前の担当と比べられてしまうのです。それでも、ケアマネジャーの立場からは法令遵守と同じくらい、「本人・家族、サービス提供事業所をケアプランで守っているのだ」という思いがあります。そのため、多少の孤立感に負けるわけにはいかないのでした。
ケアプランは利用者や家族だけではなく、サービス提供事業所を守ることができます。言い方を変えれば、実地指導などでケア内容を指摘されても、サービス提供事業所側は「ケアプランに記載されている」と答えることができるのです。
最終的なケアプランはケアチーム内で確認し合った後に完成されますが、法令や制度、ニーズの必要性の判断は、役割としてケアマネジャーが担うところでしょう。そのため、記載された内容に何か間違いがあれば、ケアマネジャーの判断ミスや制度不理解と思われても仕方ありません。それは「ケアマネ様」が作成したとしても「いい人御用聞きケアマネ」が作成したとしても、最終的にはケアプランに何が記載されているかが重要となるのです。
実地指導でケアプラン内容を指摘された際、ケアマネジャーをかばってくれるサービス提供事業所はそんなに多くないと思います。また、ケアマネジャーが実地指導でケアプランの内容を指摘されても、
「私はケアマネ様なので、やってほしいことを書きました」
「みんなが望むからプランに位置付けました」
などとは恥ずかしくて言えないでしょう。ただ、至らなさを反省するのみです。こうしたことから、ケアマネジャーはケアチームの中で重責を担う立場であると同時に、孤独な存在であると感じます。
しかし、それは「偉い」のではありません。また、それは多くのケアマネジャーも心得ているでしょう。言いたくないことを言わなければならない時は気持ちが沈むもの。提供票は目の前で確認するのに、完成したケアプランをめくることなく横に置かれてしまえば、「本当に見てくれているのかな?」と複雑な心境になります。ケアチーム内の事業所に実地指導が入る時は、「大丈夫かな?」と終わるまで気にかかるのではないでしょうか。「気にしても仕方ない」などと、自分を奮起させることは他にもたくさんあります。
威張っているつもりも、上から目線で話しているつもりもありません。しかし、しばしばそのように思われている事柄を目にしたり耳にしたりすると、「無意識にそのような振る舞いをしているのもしれない」とクヨクヨと自問自答です。
しかし、一番偉いのはケアチームの誰をも守る「ケアプラン」だという気持ちは強く持っています。そして、そのケアプランを作りあげ、作り替えていく権利がどのサービス提供事業所にも介護報酬の解釈に記載されているということを、皆で認識出来たら良いなと思っています。