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介護職、親の介護に直面して

2017-09-15

介護職として働いている人は、自分の親に介護が必要になった時、上手く介護できるでしょうか? 介護の仕事をしているので、親の介護をするということに対して動揺はしないのか……。介護職として長年働いてきた中で、親の介護に直面した時に感じた気持ちについてお伝えしたいと思います。

介護の「仕事」で感謝されることと一抹の不安

私は、介護職として老人保健施設で10年以上働いてきました。最初は戸惑うこともありましたが、仕事にはすっかり慣れていると自分で感じています。ありきたりの表現ですが、入所している方に「ありがとう、良かった」と感謝されると、仕事にやりがいを感じます。

しかし、時々頭をよぎる不安がありました。それは、自分の親とさほど歳が変わらない利用者さんの介助をしている時に感じる不安です。「自分の親に介護が必要になった時、こうして親切に対応できるだろうか?」と。

介護保険が始まって変わった介護

ところで、自分が介護職として働き始めた時、介護保険はまだ施行されていませんでした。働き始めて2年目に介護保険が始まるということでどのような変化が起きるのか、職場ではその話題でもちきりになりました。ケアプランが導入されることやケアマネジャーという新たな存在とは何か、職場の中のどの職種にあっても制度の理解や作成する書類が増えることに慌ただしくなったのを覚えています。

そして時を経て今、介護保険が施行された前後の変化として感じることは、介護が根拠をもって科学的に行われるようになるきっかけに、介護保険はなったのではないかということです。

今では言葉一つ、接し方の一つ一つの持つ意味を意識して介助することが身に付きました。介護保険が始まる前はどうだったかと言うと、あまり良くないことで一概には言えないかもしれませんが、自分のいた職場では認知症の対応は手探りであったし、介護の方法も統一されていませんでした。目の前にあることに都度対応して感謝されたら間違いない、という感覚的な介護を行っていたような気がします。今では恥ずかしいことですが、「望む暮らしを実現するための目標」を意識したことはなかったかもしれません。

今でも介護保険の理念が常に現場で生かされ、ケアプラン通りに全てが上手くいくことは難しいのですが、少なくとも介護に対する考え方や意識が高まるきっかけにはなったと思っています。

こうした過渡期を体験した身としては、介護保険と共に少しでも介護職として成長できたと感じているので、そうでない介護をまたしてしまうことには恐れがあります。仕事としての介護では、経験年数から言ってもこれからも冷静に対応できるでしょう。

しかし、相手が自分の親となると全くの未知の世界。思いやった言葉かけで対応し、目標実現に向かって意識の高い介助ができるのかは全く自信がありません。それこそ、「何でこんなことになってしまったのだ」という気持ちが先に立ってしまい、目の前にある大変さに都度対応することで精一杯になってしまいそうな気がします。

突然!親に介護が必要に

親の介護に漠然とした不安を持っていた私に、とうとうその日が来てしまったのでした。70代半ばの父が外で転倒したのです。倒れた先に大きな庭石があり、顎を強く打ち付けてしまった拍子に首を捻ってしまい脊髄損傷したのでした。

幸いにして四肢の麻痺は一時的なもので、後遺症も軽く済みそうでしたが、しばらくは入院が必要です。入院では、自分が職場でしているような介護を家族がする状況にはありません。しかし、それでも面会に行けば多少の介護は必要でした。四肢のいずれも完全麻痺は免れましたが、手足の痺れと手指の動かしにくさがあります。当面は車いす介助です。巧緻動作ができないので食事介助や、着替えの手伝いは必要です。

「とうとう来た、父の介護……」

やはりです。まず、父に上手く声がけができません。優しく声がけをすることは照れもあります。命令口調や威圧的な態度はいけないのはもう、職業柄わかります。そうなると何も言葉が出ないということになってしまいます。家族なのだから、そんなに構えなくても良いのですが、「普通に」すらできません。

病室にある個室トイレに行きたいと父は言います。車いすと点滴台を引きながら足周りに気を付けて移動しなくてはいけません。母はそんなことは大仕事で大変といいますが、私としてはそこまで大変な介助ではありません。

問題はその先にある下着の上げ下げです。

父のパンツを生まれて初めて下げる。本当に、本当に、相当な勇気

父親のパンツの上げ下げなどしたことがありません。「あなたは介護職なのだから」と、私に全面的にお任せ状態の母には頼めません。トイレまでの移動はさほど会話を交わさなくても「はい」や「せーの」で、互いのタイミングでできました。私と父は便座の前まで来ました。「参ったな」と父は言いました。自分で出来るならしたい、という様子が伝わってきますが、上手くできません。首につけている固定のカラーが邪魔をして下を向くことさえできないのですから。

「いいよ、やるよ」私は相当な勇気をもってぶっきらぼうに言いました。「わりぃ」と父は答えました。正直言って「相当な勇気」は本当に、本当に、相当な勇気でした。「ああ、他人なら優しく声かけできるし、さりげなく傷つけないような対応まで考えてできるのに!」と頭の中で嘆きました。そして、自分は親の介護について何も覚悟ができていないことを痛感しました。

また、娘にトイレ介助をしてもらうことにショックを受けているかもしれない父の心情を瞬間的に思ったりもしましたが「考えたくない!」と気持ちから掻き消してしまいました。

父は手術を経て、約2カ月間入院しました。ほどなく巧緻動作がなんとかできるようになったのでトイレ介助の必要はなくなりました。

清拭は家族が面会に行った時にも行うこともできたのですが、父は看護師さんにやってもらった方がいいからと言い、家族が行う介助は何もなくなりました。今回の入院で、介護職の私は父の前においてはほとんど無力でありました。

そっけない娘?親の介護「どうしていいのかわからない」

我が家の場合、祖父母はみな早くに亡くなっているので、私の母も私も血縁者の家族介護の経験はありませんでした。仕事で介護をするのと、家族を介護するのでは技術云々ではなく、気持ちの準備や受け入れが大変だと実感しました。ごくごく軽介助であっても私の場合はそうでありました。

父の介護に対する私の姿はもしかしたら第三者の目には「そっけない娘だ」「もっと優しく、きめ細やかにできないのか」と映ったと思います。同様に、私も介護職の目線で家族さんをそのように見てしまっていた覚えもあります。介護をしたくない家族、優しくない家族……、そうではなくて「どうしていいのかわからない」ということは本当にあるのだと思いました。

最後に

介護職を長くしているからと言って、「介護する人の気持ち」、「介護される人の気持ち」をわかっているかというと決してそうではありませんでした。仕事としての「介護」が一見上手くできているのは、根拠を見出す作業が身についているからではないかと感じました。そこに迷いや勇気は要らないからです。

しかし、父の介護に直面したとき、照れや戸惑いの気持ちの他に「辛い」という感情がほぼ無意識に生まれていたことに私は後に気が付きました。介護するのが嫌で辛いのではなく、何かが悲しくて辛いという気持ちです。大切な何かを失ってしまった時に似た感情かもしれません。「相当な勇気」が必要であったのは、そのような気持ちを振り切るためのものだったかもと思います。

「辛い」「悲しい」という感情は、一旦収めておかないと私たちは毎日を前向きに生きていくことができないことがあります。これらの感情は、在宅介護や施設介護など介護する環境が違っても、介護状態にある家族を持つ人が常に心の奥底にしまっている感情かもしれません。これは、私にとって大きな発見となっています。そして、これからの「仕事としての介護」に本当の意味で魂を吹き込むための要素になるような気がしています。

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