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義理の母と嫁〜夫の死や子どもの自立を経てわかった存在の大きさ〜

2018-07-12

長年ケアマネジメントの仕事をしていると、出会う世帯の形はさまざまです。そして、支援しているうちに世帯の形が変化する場合もあります。今回は、義母とお嫁さんの2人世帯のケースを交えながら考えてみます。

夫が病気で他界

50代のAさんは夫が急病で突然亡くなり、高校生の娘さんと義理のお母さんとの3人暮らしが始まりました。Aさんは保育士として働いており、夫は亡くなるまで先代から引き継いだ商店を営んでいました。夫が亡くなったことで店は閉めることになりましたが、Aさんにとって最大の心配事は義理の母の存在でした。

義母にあたるBさんは、2年ほど前から物忘れが増え始め、最近アルツハイマー病と診断されました。誰かの助けがあれば自分でできることも多いので、Aさんの夫が亡くなるまではよく一緒に店番をしていたようです。「これからお義母さんのお世話をどうしていこう」と、Aさんの頭の中は不安でいっぱい。娘は大学進学を希望しており、Aさんが仕事を辞めて面倒を見るわけにも行きません。

Aさんはこれから義母であるBさんのお世話を始めるにあたって改めて置かれている状況を考えてみました。するとBさんがどのくらい物忘れがあるのか、日中はどんな様子なのか、自分が把握していないことに気が付きました。

できそうでできないことが多い認知症

体は変わらずに動かすことができ、物忘れがあっても会話ができる義母の姿を見ていると、Aさんの目にはそれほど認知症があるようには見えませんでした。もちろん、大事な一人息子を亡くした落ち込みようはひどく、見ていて痛々しいと感じるほどです。しかし、そのせいで寝込んでしまうといったことはありませんでした。

仏事がひと段落した頃には、むしろ「息子が亡くなってしまって、お嫁さんや孫に苦労をかけてしまう。これからは私がしっかりしないといけない」と自ら言うほどだったと言います。その言動から、Aさんは「日中の留守番くらいは一人でできるのではないか」と考えたのです。

まもなくAさんは仕事に復帰しました。家で留守番をしているBさんのお昼ご飯は、朝食の残りやAさんが作り置きしておいたものを温めて食べてもらうことにしました。薬はテーブルの上に置いておき、Aさんが帰宅すると食事も薬もいつもなくなっていたそうです。

「なんとかこのままやっていけそうだ」と、Aさんは胸をなでおろしました。しかしある日Aさんが帰宅するとお米を炊いた形跡がありました。Bさんが自分からお米を炊くなど1年ぶりのことです。恐る恐る蓋を開けてみると、水が多過ぎてうまく炊けていません。高校生の娘さんによると、「おばあちゃん、お昼ご飯は3時ころに温めないで食べているし、薬はベッドの下に封も切らないでたくさん落ちているよ」とのこと。Aさんは驚き、すっかり不安になってしまいました。

現実を目のあたりにして

Aさんは親戚や会社の同僚のすすめでBさんの要介護認定を申請しました。認定調査の日、調査員とBさんのやり取りを聞いていると事実と異なる回答があまりに多く、驚いてつい口を出しそうになってしまったと言います。調査が終わったあと、Aさんは調査員にBさんが実際には家事も服薬管理もできていないことなどを泣きながら説明されたそうです。

「どうして、こんなに違うことばかり言うの……。信じられない。私は夫もいなくて、これから何年介護をしていくことになるの」

涙ぐむAさんに、調査員は「これが、認知症の症状なのですよ」と答えます。そして「みんなで考えて、みんなが良いようにしていきましょう。今が頑張り時です」と諭したと言います。

デイサービスに1年、そして新たな家族の変化

Bさんは週3回、デイサービスに通うことになりました。幸い近所のお友達と同じ曜日に通うことができ、楽しく通っています。認知症の服薬治療も続け、物忘れはありますが、ここ1年で大きな悪化は見られません。むしろ以前よりもよく話し、気持ちよく過ごすことが多くなりました。

Bさんにとって嬉しい変化は、お嫁さんとの会話が増えたこと。デイサービスに行かない日は、Aさんが必ず電話をくれて、食事を温めて食べることとお薬を飲むように教えてくれるのです。心配性でお節介だと感じることもありますが、息子が亡くなる前は一日に数分しか顔も見かけず、言葉を交わさない日もあった二人。「孫の面倒は私がずっとみてきているのに」と、内心冷たい嫁だと思っていたのが、今はすっかり変わったと思われているようです。

こうして1年が過ぎ、孫の大学進学など家族に新たな変化が訪れました。

いよいよ義理の母と2人きりに

Aさんが夫を亡くしてからの1年は、仕事や家事、義母の介護に追われてきましたが、娘さんの存在がとても大きかったようです。娘さんが大学受験することへの不安や忙しさは確かにありましたが、介護の疲れやストレスを忘れることができる忙しさでもあったのです。時には娘さんに愚痴など話を聞いてもらい、慰められることもあれば喝を入れられることもありました。

娘さんが大学生になっても、しばらくはこうして暮らしていくのだろう……と漠然と思っていましたが、娘さんが県外の大学に進学することになり、一人暮らしのために家を出ることになったのです。Aさんは、義母との2人暮らしがこんなに早くやってくるとは思いもしませんでした。大きな不安に襲われたAさんは、ケアマネジャーに相談し、ショートステイや施設入所も考えたいと打ち明けました。

義母であるBさんは、お嫁さんであるAさんにショートステイを勧められると、「あなたは仕事で忙しいし、(孫の)○○ちゃんも勉強で忙しいのね? 私は家で待っているから大丈夫」と言います。Aさんはそれでは安心できないとショートステイ利用をお願いしますが、Bさんがうまく理解することができず、話は平行線のままでした。Aさんが精神的に追い詰められていると感じたケアマネジャーは、これでは良い介護もできないと判断し、Bさんに次のようにお伝えしました。

「お孫さんの引っ越しと、保育士として働くAさんの行事が続くので、何とか家族のために協力してほしい」

そして「家族のために協力してくれる、物分かりの良いBさん」という形で促したところ、何とか一度、ショートステイを利用してもらうことになったのでした。

初めてのショートステイ利用

Bさんの初めてのショートステイ期間は2週間です。ショートステイは、一度利用すると家族側が回数や日数を長くしたいと相談してくるケースが少なくありません。Bさんの場合、キーパーソンであるお嫁さんの勤務形態や介護に対する余裕を失っている状況から、やはりそのような状況になってしまうのではないかと懸念していました。しかし2週間後、Aさんから出た言葉は意外なものだったのです。

「この2週間、娘の引っ越しなどもあって仕事を休んで家にいたのだけど、義母が居ないとわからないことばかりで困った。ショートステイから帰ってきたら、またしばらくはデイサービスだけでいい」と。

Aさんによれば、Bさんがいないと近所付き合いや町内会のことが全く分からないとのこと。町内会費の集金や回覧、お祭りや行事、ゴミ拾い活動などの話をされたものの、今まで関わってこなかったのでわからずに戸惑ってしまったそうです。これまでは夫や義母がやっていたので、それをいざ自分がやることになり、それらの仕事の大変さにも気がついたと言うのでした。

おわりに

Bさんは認知症ですが、近所付き合いや町内会の仕事は連れ立って行う人がいれば自立して行うこともできます。集金も準備しておけば渡すことはできますし、電話の伝言は自営業の経験からメモをとる習慣が残っているので可能です。「まだまだ、お義母さんにお願いしたいことがあると分かった」とAさん。一見、自分勝手とも取れるAさんの言葉ですが、非常に素直で、大切な気づきであったのではないでしょうか。

ショートステイを経験したBさんがその後デイサービスに来ると、繰り返しこう言います。そしてその表情は、とても誇らしげなのです。

「うちのお嫁さん、立派な仕事をしていて忙しい人だけど、家のことや商売のこと、町内会のことも分からないの。私でないとだめなの」

認知症の方のケアプランでは、デイサービスやショートステイで「他者交流やレクリエーション活動、趣味活動を通じて自信を取り戻すことを目指す」などと位置付けられることがあります。しかし、それらが果たして具体的で、かつ実現可能な短期目標になり得るか。このことは疑問を感じます。

取ってつけたような非日常的なこと、あるいは今はもう興味自体が薄れていたり、身体機能的にできなくなっていたりする趣味を無理やり引っ張り出すことは、現実的とは思えません。それよりも、今できていることを周囲が認めることが、まずは必要であり効果的だと感じます。

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